ふたご座
日常のデザイン
日常生活入門
今週のふたご座は、日常という大地を耕す農夫のごとし。あるいは、ごく普通の生活の中に創造性の種を撒いて、それを見守っていくような星回り。
「ミニマル・ミュージック」を提唱する現代アメリカの作曲家ジョン・アダムズは、2010年に行われたインタビューの中で「僕の経験からいうと、本当に創造的な人々の仕事の習慣はきわめて平凡で、とくにおいもしろいところはない」と話しており、「基本的に、なんでも規則正しくやれば、創作上の壁にぶちあたったり、ひどいスランプに陥ったりすることはないと思っている」と断言してもいます。
とはいえ、何かと誘惑や邪魔の多い毎日の生活において何かを「規則正しく」やり続けるということほど難しいことはないはず。そして難しいことをこなせるようになるためには(しかもごく平凡に見えるように!)後天的な訓練が必要ですが、多くの場合、人は病気や事故などに直面するまで、日常生活を送るのに特別に訓練が必要であるとは考えません。
それでも、そうした事情について精神科医の中井久夫は次のように述べています。
「異常体験というものは実はかなり類型的なものであり、そうでない体験のほうがはるかに豊富であり、分化しており、多様である。」
日常生活を規則正しくこなしていく訓練とは、まさにこうした多様な経験の実る土地に分け入っていくことに他ならないでしょう。そして、そこで少しずつ土地をならして耕し、種を撒いて収穫することで、さまざまな豊かさや創造性の現れを人は経験していくことができるのです。
15日にふたご座から数えて「リズムを刻んでいくこと」を意味する6番目のさそり座で新月を迎えていくあなたもまた、一見地味に感じる日々の習慣やちょっとしたひと手間を積み重ねていくことをこそ、改めて大切にしていくといいでしょう。
数寄(すき)
中世日本における「隠遁」は、現代における「探検」と同じ文脈でとらえることも可能なのように思います。そして隠遁の重要な要素である「数寄」とは、例えば「ひとり調べ、ひとり詠じて、みずから情を養うばかり」(鴨長明『方丈記』)といったスタイルの中で、この世界とのより直接的で自然なかかわりを取り戻していこう、というもの。
逆にその正反対が、以下のような状態です。
世にしたがへば、心、外の塵に奪はれて惑ひやすく、人に交われば、言葉よその聞きにしたがひて、さながら心にあらず。人に戯れ、物に争ひ、一度は恨み、一度は喜ぶ。そのこと定まれることなし。分別みだりに起こりて、得失やむ時なし。惑ひの上に酔へり。酔の中に夢をなす。(吉田兼好『徒然草』)
「よその聞き」は他人がどう思うか、「分別」というのは、ああだろうか、こうだろうか、という思い悩みで、「得失」とは損得勘定のこと。忙しさに酔っているだけで、我を忘れてしまっているのだ、という最後の箇所は痛烈ですね。
今週はまなざし方次第で日常の風景もまたガラリと変わっていくのだということを念頭に、まなざしのデザインを改めて施していくべし。
今週のキーワード
風景の半分はまなざしで出来ている