ふたご座
ピカリピカリと
抵抗する網目としての主体
今週のふたご座は、宮沢賢治の「因果交流電燈」のごとし。あるいは、抵抗とそれに伴う発光としての存在証明をしていくような星回り。
キルケゴールは「自己とは、関係が、関係において、関係に関係することである」というテーゼを打ち出しましたが、宮沢賢治もまたよく知られた詩の一節である「わたくしといふ現象は、……因果交流電燈の、ひとつの青い照明です」において、因果という「関係」の総体から「私」が現れてくるという似たようなビジョンを描いてみせました。
賢治のいう「因果」は、どこか今日的な電脳メディアや仮想現実空間のいたるところに張り巡らされた電気回路をも想起させますが、「私」はそこに現れる「電燈」なのですから、「私」はその電気回路のうちの、フィラメントなどによって「抵抗」の高まった場所であるということになります。
「私」はそうしたメディアの網の目のなかで、情報が「私」を素っ気なく通りすぎていくのを阻止しようとして抵抗を与え、それによって「私」は熱と光を発し、そういうものとしてのみ自分自身を認識し、また認知されていく訳です。
17日にふたご座から数えて「自己創出」を意味する5番目のてんびん座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、今できる精いっぱいの「抵抗」を試みることで、広大で複雑な「関係」の中でおのれを確かに感じていくことがテーマとなっていくでしょう。
起をもたらすべき時を知る
「合縁奇縁」という言葉があるように、出会いや人との縁というものは実に不思議なものです。しかし「縁」などと言うと、さも人知を超えた力が働いてすべてのお膳立てが整えられているように思い込みがちですが、必ずしもそうではありません。
すべての縁が「事」を起こすわけではなく、「事」の起こり方は「心」の運動に大きく左右されていくのです。
南方熊楠という人は「心のとめよう、体のふれよう」で事は起こるのだ、と言いました。つまり人間はさまざまな縁の連鎖や分離、あるいは結合にただ翻弄されるだけではない。縁にみずから働きかけること(=抵抗すること)で、おのずから「起」をもたらすことも出来るのだと。
縁に働きかけるべき「時」を見極めるためにも、まずは絶え間なくあちらこちらをさまよいがちな心をしっかりとめて、遠く離れたところで光るフィラメントやそこにつながる回路や道筋をよくよく確かめていきたいところです。
今週のキーワード
「fate,predetermination of matter(運命によるつながり)」