ふたご座
空っぽな器としてあること
聖杯感覚
今週のふたご座は、聖杯にならんとしていくような星回り。すなわち、自分の中に心情で受け入れたものと運命的に関わろうとしていくこと。
リーアン・アイスラーという社会学者は『聖杯と剣』において、文化を聖杯と剣という対概念で説明し、貨幣経済が生活の隅々まで浸透している現代社会の現状を「剣」だけが肥大して「聖杯」が抑えられてしまっている状態として理解していきます。
伝統的にヨーロッパで剣の原理が強かったのはキリスト教の影響が大きいと思いますが、逆に日本ではもともと聖杯の原理が強かったのではないでしょうか。
例えば、戦国時代の日本に宣教師として渡来し活動したイエズス会士ルイス・フロイスは次のようにはっきり述べています。
ヨーロッパでは未婚の女性の最高の栄誉と貴さは、貞操であり、またその純潔が侵されない貞潔さである。日本の女性は処女の純潔を少しも重んじない。それを欠いても名誉も失わなければ、結婚もできる。
(中略)ヨーロッパでは娘や処女を閉じ込めておくことはきわめて大事なことで、厳格におこなわれる。日本では娘たちは両親に断りもしないで一日でも幾日でも、ひとりで好きな所へ出かける。
われわれの間では、普通修道女はその修道院から外へ出ない。日本の比丘尼はいつでも遊びに出かけ、時々陣立に行く。(『ヨーロッパ文化と日本文化』)
19日にふたご座から数えて「女神的感性」を意味する3番目のしし座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、客観的・論理的に現象を捉え、冷たい剣の原理を振り回すのではなく、自分が器になって何か誰かを受け入れ、自分も相手も変容していく感覚を実践していきたいところです。
小利口をやめる
例えば、自分の人生が破綻したり、落伍したり、脱落したりすることは剣の原理においては多大なる不幸に他なりませんが、聖杯的観点からすればやっと訪れてくれた僥倖であり、ラクに生きていくための最大のチャンスなのだと言えます。
想定内の生が破れ、職業や名誉や家庭や財産など、何かしら喪失していった時にはじめて、この世のほんとうの姿を垣間見、そこで私たちは「人間とは何か」ということを少しだけ受け入れられるようになるのです。
ただし、せっかく人間に生まれながら、人間とは何かということを知らずに、人生を終えてしまう人間が世の9割である、といっても言い過ぎではないでしょう。そういう小利口な人間になることを、日本人はいつから大人になるとか、成熟と呼ぶようになったのでしょうか。
小利口をやめるには、空っぽな器になりきってみるのが一番です。そうして、ひとりの人間として喪失を受け入れていくとき、そこから本当の意味で人生は始まっていくのかも知れません。
今週のキーワード
マリア信仰