ふたご座
ボタンの掛け違いを糺す
「棚卸し」の大切さ
今週のふたご座は、福沢諭吉の『学問のすゝめ』のごとし。あるいは、人生の棚卸しをしつつ今なすべき仕事をきちんと特定していこうとするような星回り。
福沢は本書において、人の価値は生まれながらのものではなく、学問を習得した度合いで決まると説いたが、彼の言う学問とは「実学」のことであり、時代に即した、変転する世界を生き抜いていくのに必要なサバイバル・テクニックとしての知識や知恵のことだった。
そうした実学習得と併せて福沢が大切にすべきと説いたのが、定期的な「棚卸し」であり、それは狭義では自身が持っている能力の点検や、その過不足の正確な把握を怠るな、ということを意味したが、決してそれだけではなかった。
もう少し広くその意図を汲めば、福沢の言う「棚卸し」とは、目標実現のための努力に一定期間、時間を割いても効果があがらなければ、小手先の修正ではなく、学習計画の大胆かつ臨機応変な組み換えを行うべきであることを指しており、それは旧体制にしがみつく人々を至るところで批判していた福沢本人の真骨頂でもあったように思う。
実学はそのために用いることができてこその「実学」なのであり、自分を相対化できないような知識や知恵は、激動の時代において自分自身のためにはならないのだ。
4月1日にふたご座から数えて「自己価値」を意味する2番目のかに座で、上弦の月(行動の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、これまで培ってきた知識や経験に基づき、自己卑下にも自我肥大にもならない形で、自分なりの生存計画を立て直していきたい。
一文字の修正
人は日々、言葉と出会い、あるいは言葉とすれ違う。そのいちいちを覚えていたり、記録することは困難だが、どこかで引っかかっている言葉や印象に残った言い回しがあったなら、ああかこうかと一日中眺めてみたり、何か月かは時々思い出して咀嚼してみるのでなければ、いずれお手上げになって行き詰まってしまうのではないか。
例えば、三橋敏雄の有名な句を二つ。
「出征ぞ子供等犬も歓べり」(昭和16年)
「出征ぞ子供ら犬は歓べり」(昭和41年)
「も」と「は」。たった一文字の違いだが、その印象はガラリを変わってしまう。後者は、状況を理解していない犬と子供たちだけが、なぜか人が集まって賑わっている状況を勘違いして喜んでいる光景であり、おそらく作者は、ずっと最初の「も」の一文字に引っかかりつつも、それを修正できずにいたのだろう。戦後になり、世の中の空気が変わって始めて特定できたのかも知れない。
「棚卸し」は、自分が何を捨てるべきかを忘れてしまったり、もっとタチが悪くなると、何を忘れたのかさえ思い出せなくなる前に行っていくべし。
今週のキーワード
自分をズラしていく