ふたご座
都市のエッジで狂い咲く
トリックスターの呪術
今週のふたご座は、「縁行者」のごとし。あるいは、見慣れた光景にまったく異質な風景をさし込んでいくような星回り。
その昔、修験道の開祖である役行者(えんのぎょうじゃ)は、山林の奥深くへ入って霊力を養う修行を重ねることで法力を身につけ、その力を社会へと還元していったのだそう。
宗教学者の鎌田東二は、そんな役行者の「役」を縁結びの「縁」に置き換えた「縁行者」を、現代において目指すと標榜していましたが、それはどこか今のふたご座の後ろ姿にも通じるところがあります。 「役」というのは、あらかじめ決められた社会の枠組みの中に落ち着いて、閉じこもっていく力の働き、いわば先祖に‟連なっていく”方向付けを人々に与えるもの。ですが「縁」というのは、既存の結びつきを開いて組み換えることで、関係性を通して自分のあり方そのものを転換していく力の働きであり、先祖から‟はみ出していく”方向付けを与えていきます。
それは本質的に危険をはらんだ、いのちがけの試みとなっていきますが、それゆえに、うまくいけば人をよみがえらせることができる呪術となり、社会に新たな風景を出現させる視覚芸術となり得るのです。
20日にふたご座から数えて「社会実験」を意味する11番目のおひつじ座へ太陽が入り、春分を迎えていく今週のあなたもまた、そんなある種のトリックスターとしての振る舞いをますます追求していくことがテーマとなっていくでしょう。
寺山修司の言語感覚
日本のパンクシーンはそのノイジーな音だけでなく、特異な言語感覚によっても特徴づけられますが、1950年代から80年代にかけてそうした日本のアンダーグラウンドに大きな影響を与え続けた寺山修司の言葉を、ここで三つほど引用しておきたいと思います。
「僕は恥ずかしき吃り(どもり)である。だが、吃るからこそ、自分の言葉を、自分の口の中で噛みしめることができるのだ。(『書を捨てよ、町へ出よう』)」
「歴史を変えてゆくのは、革命的実践者たちの側ではなく、むしろ悔しさに唇をかんでいる行為者たちの側にある。(『黄金時代』)」
「ダンス教室のその暗闇に老いて踊る母をおもへば 堕落とは何?(『テーブルの上の荒野』)」
彼の言葉には、いつも隠れた疑問符がついてまわっているように感じますが、それは人から与えられた幸福で人生への疑問を塗りつぶすような真似を、彼がついぞしなかったからに違いありません。
今週のキーワード
風景異化