ふたご座
遮るものは何もない
「波だから、潮だから」
今週のふたご座は、永瀬青子の「窓から外を見ている女は」という詩のごとし。すなわち、まっさらな自分になったことを、みずから主張していくような星回り。
日本という国が肌感を伴なって農本主義でなくなってきたのは、やっと戦後のこと。産業構造が変わり、会社勤めをする人が増え、農家の嫁以外の‟職業”につく女性が増えていった。
自分たちは戦乱をくぐり、飢餓や苦境を生き延びて、多様な職業につくようになって、すこしは地位が向上しただろうか。ちょうどそんな意識が共有され始めた1970年代中ごろに、女性の手によって編まれた詩に『蝶のめいてい』があった。
「窓から外をみている女は、その窓をぬけ出なくてはならない。日のあたる方へと、自由の方へと。 そして又その部屋へかえらなければならない。なぜなら女は波だから、潮だから。人間の作っている窓はそのたびに消えなければならない。」
ここでいう「窓」とは、ものごとの視野を狭めて規定する価値観の“枠”であり、「ここから先はお前の領域ではない」と社会がこさえて用意してくる‟柵”でもあったのだろう。
けれど、女はほんらい、容易に“枠”にも“柵”にもおさまらない存在であり、むしろそれらを消し去り、押し流すほどの力を秘めているのに違いない。
12日(木)にふたご座で満月を迎えていく今週は、この半年間を振り返りつつ、そんな風に自分に秘められた力がどれほどのものであるのかを、改めて自覚していくことになるはず。
自然のリズムに任せて
「美しいと汚いは、別々にあるんじゃあない。
美しいものは、 汚いものがあるから 美しいと呼ばれるんだ。
善悪だってそうさ 善は、 悪があるから、 善と呼ばれるんだ。
悪のおかげで 善があるってわけさ。
同じように、 ものが「在る」のも、 「無い」があるからこそありうるんでね。
お互いに 片一方だけじゃあ、在りえないんだ。(中略)
だから 道の働きにつながる人は 知ったかぶって手軽くきめつけたりしない。
ものの中にある自然のリズムに任せて 手出しをしない。
すべてのものは生まれでて 千変万化して動いてゆくんだからね。」(加島詳造、『タオ 老子』)
世間でふつうに生きていると、前向きに生きるとか、善を成すとか、美しいものに触れるといったことが肯定的な価値として捉えられがちなように思う。
けれど今週は、そういう区別なんて本当はないのかもしれない、というところまで善悪の基準を無効化していった上で、自然のリズムと一体化していくことができるかどうかが問われてくるはず。
何を言うにしても、そうしたリズムそのものに任せてしまえばいい。
今週のキーワード
融通無碍