ふたご座
言葉を友に道をゆく
納得こそが近道だ
今週のふたご座は、「急がば回れ」ということわざのごとし。あるいは、まずは、心と身体とを繋げる道を塞いでいるガラクタの山を取り除いていこうとするような星回り。
個人的に橋龍吾という詩人の「中央線」という詩が好きなのですが、それはこんな詩です。
「新宿を発ち吉祥寺に向かうはずが、
気付くと神田に降り立っていたのは、
それが吉祥寺への近道だったからだ。
中央線ではしばしば起こること。」
神田は新宿から見て吉祥寺とは逆方面の駅であり、普通に考えればまったくもって「近道」なんかではないはずです。
でも、ターミナル駅である新宿から急行の停まる吉祥寺へまっすぐ向かってしまえば、ものの10分弱で着いてしまう。これでは気持ちの整理もつかない。そんな時だってあるでしょう。
そもそも、数分に1本のペースで電車が走っているのだから、数駅くらい逆方向に乗ってしまっても、取り返しがつかないという程ではないはず。
それより、肉体が乗り物で目的地へ運ばれる速さに追いついてこない精神を、しっかりと回収してから目的の場所へ向かうことのいかに大事なことか。
30日(金)にふたご座から数えて「安心」や「落ち着き」を意味する4番目のおとめ座で新月を迎えていく今週は、ある意味で先の詩くらいの余裕をもって、いつの間にか置いてけぼりにしていた気持ちや感情を掬いあげていきたいところです。
自分を拾い集める
「馬鹿はいつまでも馬鹿でしかない」と昔の人が言いました。
馬鹿な方が統治がしやすいとかで、愚民政策で馬鹿になることが奨励されていたんでしょうか? それとも誰も自分が馬鹿だと教えてくれる人がいなかったからでしょうか?
馬鹿の定義はいろいろありますが、総じて当事者意識がない点は共通していると思います。ところが時に人は、ふっと自分が何者なのか、何をしているのかを誰かから教えられることがあります。
エリック・ホッファーは砂金掘りに出かけた冬に、モンテーニュを読んで「自分のことを書いている!」と思ったそうですし、同じことを松岡正剛は稲垣足穂の『男性における道徳』を読んだときに思ったそうです。
「これこそ自分だ」と思えるようなことを書いてくれている誰かと出会えたかどうかで、人は意識がガラリと変わっていく。今週はそんな言葉の欠片をていねいに拾い集めていくこと。
そして、それを今の自分と照らし合わせて、きちんと過不足を認識していくことが重要なテーマとなっているのだと言えます。
今週のキーワード
言葉の過不足