ふたご座
違和感と加護
力を借りる力
今週のふたご座の星回りは、橋の下で拾われた幼児のその後のよう。すなわち、自分の中に何らかの明確な欠落や不足を認めることで、かえって希望を見出していくような星回り。
神話の英雄や半神たちには、幼い頃に何かの事情でいったん親に捨てられたことのある人物が異常に多いのですが、これは生活条件の厳しかった古代においてどこの国でも捨て子は必要悪だったという現実的な事情半面、あとは不肖の子や虚弱児などを洞窟などの「母なる大地の子宮」に委ねることで産土の加護を得られるようにという神頼み半分といったところだったのではないかと思います。
「土がつく」とは相撲の世界では負けることを意味しますが、ことその後を生き延びた捨て子たちにとっては、第2の母としての「大地の力」を宿したことに他ならず、その加護によって尋常ではない働きが可能になっていった訳です。
思えば、ギリシャ神界最大の神であるゼウスからして、誕生と同時に父神の目を逃れるためにクレタ島の山の洞窟に遺棄されて、大地ガイアのふところに委ねられて育った子でありました。
彼らは自分の命運を母以外の誰かに委ねるという経験を早期にしていくことを通じて、自然と「力を借りる術」を身に着けていったのかもしれません。
そして今週のあなたにとっても、そうした自分に必要な手助けをきちんと申し出ていくことは大事なテーマとなっていくでしょう。
一揆の背景
中世史家・網野善彦の著作を読んでいると、中世後期から盛んに行われるようになった「一揆」には、大勢の百姓の背後に背後に、数限りない「賤民」や「化外の民(野蛮人の意)」が立ち現れてきて、思わず眩暈を覚える時があります。
その中には、遊女、巫女、予祝芸能者、助産師、女商人などの遍歴する女性たちや、鋳物師、博打打ち、唐人などの職人・芸能民なども含まれており、そこに居並ぶ人間の色彩の豊かさに、一揆に対してなんとなく抱いていたどす黒い土気色の顔一色に染まったある種の暗さが打ち消されていくような気さえしてきます。
彼らの存在が教えてくれるのは、人類の歴史において、元来自由と野性に開かれた人間というのは、しばしば社会の側から抑圧と無権利へと鎖され、差別と蔑視に射すくめられる中で、「土がつく」運命パターンを内臓しているのだ、ということ。
隷従とは慣れでもありますが、その意味では、一揆の前提には「いつまでも慣れない」という事態や自己認識があり、そうした違和感を行動へとつなげた結果が一揆なのです。
今週もしなんとなく自分がしようとしている行動があるのなら、それが自分の中でどんな違和感に由来しているのか、そしてどんな加護があるのか、ということについて考えてみるといいでしょう。
今週のキーワード
「土がつく」経験の必要性