ふたご座
惑いつつ生きる
一語の選択
今週のふたご座は、「天上も淋しからんに燕子花(かきつばた)」(鈴木六林男)という歌のごとし。あるいは、美しき迷いの境地にあえて足を踏み入れていくような星回り。
燕子花は、杜若のこと。水辺を好み、濃い紫色の花をつけ、その花言葉は遠く離れた伴侶を愛おしく思う「思慕」。
その色の高貴な美しさは万葉の時代から尊ばれ、かつて平安時代の在原業平は、
「から衣 着つつ慣れにし つましあれば はるばる来ぬる 旅をしぞ思う
(慣れ親しんだ着物のように親しく愛しい妻が都にいるのに、はるばる遠くまで旅に出かけたことよ)」
としみじみ歌ったものだが、作者もおそらくそれに似た、無性なるさみしさを抱えていたのだろう。
その拭いきれないさみしさは、今にもしたたり落ちそうな燕子花の美しさによってより一層こちらに迫ってくる。
しかも「天上は」ならばあまりに大袈裟で、歌にするまでもない話だと白けていたところだが、「天上も」ならば優柔で甘美な惑いがそのまま歌になる。
作者が「も」という一語をあえて選んで歌にしたように、今週のあなたもかりそめの成熟や無粋な自立から離れて美しきあいまいさを漂わせていくことになるだろう。
生きるとは?
「生きること――それは、死に絶えようとする何ものかを、わが身から絶えず追放することを意味する。
生きること――それは、わが身の中の、またわが身に限らず、脆弱で古くなった一切に対して、容赦なく苛酷であることである。
生きるとはしたがって――死に逝く者、衰弱した者、歳を重ねた者への畏敬の念をもたないころではないだろうか? 常に殺害者であるということではないか。
――しかしながら、老いたるモーゼは言ったものだ。「汝殺すなかれ!」と。」(『喜ばしき知恵』、村井則夫訳)
「生きる」をめぐるニーチェの言葉を裏返すなら。
生きるとは、自分の中の「衰弱した者」、そして「歳を重ねた者」を殺すことなく天上へと見送っていくことであり、彼らの視点から自分を振り返っていくことにあるのかもしれません。
今週のキーワード
「汝殺すなかれ!」