やぎ座
ほら、自由よ
やって来る
今週のやぎ座は、自分なりの考えを追求する典型としての「哲学者」のごとし。あるいは、「古代の哲学者たちのように」振る舞っていこうとするような星回り。
哲学史に登場する最初の哲学者とされるタレスや、占星術におけるエレメントの考え方のルーツともなっているエンペドクレスなど、ソクラテス以前に登場する一群の「自然哲学者たち」は、現代における「哲学者」という言葉のイメージとはかけ離れた、ひとりひとりが一宗を興すほどの宗教家であり、実践家でもありました。
彼らは「神」というチート概念を用いずにこの世界の成り立ちを説明するモデルを、自分なりに編み出していった訳ですが、そんな「古代の哲学者たち」と現代のそれとの違いについて、ルーマニア出身の思想家シオランは、『思想の黄昏』の中で次のように極めて辛辣な筆致で述べています。
古代の哲学者たちと現代の哲学者たちとを分かつもの――きわめて明瞭な相違であり、そして後者にとってはきわめて都合の悪い相違であるが――は、後者が仕事机で、書斎で哲学したのに対して、前者が庭園で、市場で、あるいはどこかは知らぬ海岸を歩きながら哲学したことに由来する。
そして現代の哲学者たちよりも怠惰な古代の哲学者たちは、長いあいだ横になっていたものだ。というのも、彼らは霊感が水平にやってくることを知っていたからである。そんなわけで、彼らは思想の来るのを待っていたのである。現代の哲学者たちは読書によって思想を強制し、挑発する。そういう彼らの姿からは、瞑想の無責任性なるものの歓びをいまだかつて知ったこともなく、そのさまざまの観念を企業家はだしの努力をもって組織したのだ、という印象を抱かせられる。
もしここに何か付け加えさせてもらうならば、古代の哲学者たちと現代の哲学者たちとを分かつものに「闇の深さ」の体験も挙げられるのではないでしょうか。書斎や読書で哲学が可能なのは、電気が発明され普及していったためであり、それが精神に与える影響もまた想像以上に大きかったのではないかと思います。
6月14日にやぎ座から数えて「霊感」を意味する9番目のおとめ座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、いっそ自分が古代の哲学者たちになったつもりで、「霊感が水平にやってくること」、「思想の来るのを待」つことに徹してみるといいでしょう。
エミリー・ディキンスンの613番の詩
「みんなは わたしを散文に閉じ込めた」から始まるこの詩は、それ自体が19世紀アメリカにおける男性中心の、非常に因習的なピューリタン社会に対するディキンスンの果敢な告発であり、また自分の内なる霊感に素直に従うことを決意した意志表明でもありました。先の続きを引用しましょう。
子どものころにわたしを
納戸に閉じ込めたように
「おとなしくしていなさい」
おとなしくですって! もしあの人たちが
わたしの頭のなかをのぞいたら
目まぐるしく回るさまを見て、小鳥を籠に
閉じ込めるように むずかしいと知るでしょう
小鳥はその気になれば、風のように
軽やかに 籠をのがれ出て
ほら 自由よ と晴れやかに笑うでしょう
わたしも 小鳥と同じ
今週のやぎ座もまた、さながらディキンスンのように小鳥へとなり代わって、狭い思考領域や硬直した思考習慣の“外”へと、身をもって飛び出してみるべし。
やぎ座の今週のキーワード
庭園で、市場で、あるいはどこかは知らぬ海岸を歩きながら