やぎ座
自若と夢中のあいだ
明るい自己否定
今週のやぎ座は、『一生の楽しきころのソーダ水』(富安風生)という句のごとし。あるいは、明るさを宿しつつ、それを周囲にも放っていくような星回り。
使われている語彙もきわめて平易で、技巧や発想にもこねくり回したところのない、真に「大人の俳句」という形容にふさわしい一句。
掲句で「ソーダ水」を飲んでいるのは、幼い子どもか10代の学生たちと言ったところでしょうか。作者はここでその若く鮮やかな溌剌ぶりに目を細めつつ、めいっぱい今を楽しんだらいい、と自分もまたそうしてきた者の慈愛と余裕をもってまなざしを送っている。
「客観写生」ということを大切にする俳句の世界では、作者の主体はなるべく消去するのが一般的な手法となっているとは言え、ここではそれが暗い自己否定を帯びる訳でもなく、むしろ光あふれる眩しさのなかで輪郭が飛んでしまうかのように、きわめて明るいニュアンスを含んでいます。
見られた側としても心地よくあたたかで、見る側にとっても思わず肯定したくなるような、掲句のようなまなざしの交錯は、考えてみれば今日ではすっかり珍しいものになってしまったように思います。
その意味で、6月6日にやぎ座から数えて「美学/流儀」を意味する6番目のふたご座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、できるだけ暗い自己否定とは対極的なまなざしの交錯の現場へと、みずからを置いていくことがテーマとなっていくでしょう。
トンネルをくぐる
とはいえ人間は「我」を消滅させまいとして、さまざまなことを行います。アンチエイジング美容にお金をかける人もいれば、銅像を建てる人もいる。本を遺す人もいるし、名を残すために善行を積んだり、逆に悪名を轟かす人もいますが、そろいもそろって消滅することを恐れている訳です。
死ぬということは決してそう厭なことばかりではありませんが、自分の消滅ということはみんな嫌なんです。ただ、それが嫌というだけで生きていると、今度は自分が生きているうちにすべきものが見えなくなっていく。これもまた、緩慢な消滅と言うべきでしょう。
そう考えると、「老い」の自覚というの契機もまた、生きているうちにすべきことを明確にするために必ずくぐり抜けていくべきトンネルのようなものなのかも知れません。すなわち、自分は現に疑いようもなく生きているという実感をはっきりと認識していくための通過儀礼であり、だとすれば、やはりその道は往くも還るもただひとりでゆくべき道なのだとも言えます。
今週のやぎ座は、そういう意味でのトンネルをくぐっていくつもりで、何かしら身辺整理をしてみるといいかも知れません。
やぎ座の今週のキーワード
緩慢な消滅に抗って