やぎ座
悪の効用
不正直な心を持つくらいなら
今週のやぎ座は、自由気ままなホリーのごとし。あるいは、自分自身を殺すかもしれないものでなく、「間違いなく殺す」ものをこそ手放していこうとするような星回り。
トルーマン・カポーティの小説『ティファニーで朝食を』には、象徴的に「猫」が登場します。飼い主は、小説家志望の主人公の青年「僕」の真下の部屋に住むホリー・ゴライトリー。16歳にも30歳にも見える謎に包まれたホリーは猫に名前をつけていない。
「この子とはある日、川べりで巡り会ったの。私たちはお互い誰のものでもない、独立した人格なわけ。私もこの子も、自分といろんなものごとがひとつになれる場所をみつけたとわかるまで、私はなんにも所有したくないの。そういう場所がどこにあるのか、今のところまだわからない。でもそれがどんなところだかはちゃんとわかっている」、彼女は微笑んで、猫を床に下ろした。「それはティファニーみたいなところなの」
そんなホリーのイノセントな魅力に「僕」はたまらなく惹かれていく一方で、彼女を「度し難いまやかし」に生きる「あさましい自己顕示欲の権化」であり、まっとうに生きるためにも二度と口をきくまいとするのですが、こうした葛藤は誰の中にもあるはず。
ただ色んな意味で「大人になる」につれ、ホリーのような極端な純粋さは消えてなくなってしまう。だからこそ、彼女はキラキラと輝きながら鋭くこちらを刺してくるのでしょう。
そうじゃなくて、私の言っているのは、自らの則に従うみたいな正直さなわけ。(…)不正直な心を持つくらいなら、癌を抱え込んだほうがまだましよ。だから信心深いかとか、そういうことじゃないんだ。もっと実際的なもの。癌はあなたを殺すかもしれないけど、もう一方のやつはあなたを間違いなく殺すのよ。
人が心に何を抱えるかは自由ですが、例えホリーのようなまっすぐなきらめきはともかく、少なくとも自己に対する忠実さは失いたくないもの。その意味で、3月4日にやぎ座から数えて「精神の浄化」を意味する12番目のいて座で下弦の月(意識の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、何を残し何を捨て去るべきかについて、よく思いを巡らせていくべし。
蟲毒の原理
「蟲毒」とは、器の中に毒を持った虫を入れていき、共食いさせてそこで生き残ることでさらに強まった虫の毒気を利用して敵を呪う呪術のこと。
同様に、私たち人間の中にも、そうした毒虫のごとき悪や暴力への欲望が眠っていますが、逆に言えば、こうした暗い欲求をさらに強い欲求によって浄化ないし昇華させていくことができるかこそがその社会が有している文化の底力なのだと言えます。
例えば、江戸時代の歌舞伎や人形浄瑠璃の演目などに、しばしば極限状況を生きる悪人たちが放逸するサスペンスだったり、血しぶきや生首の飛ぶ凄惨なシチュエーション、濡れ場と殺し場、拷問と男女の契り、苦悶と恋愛とが交錯するような濃厚な官能性のなかで彩られていく「悪」の形象が登場し、庶民たちの抑圧された欲求のはけ口となって人気を博していたような文脈とも相通じていくのではないでしょうか。
つまり、道徳倫理的にはもちろん「悪」は否定される訳ですが、舞台で繰り広げられる「悪」の行為には生理的・感覚的なところで蠱惑的な引力をもって引き込まれ、肯定されていく、一種の浄化作用的代行がそこで起きていく、ということ。
今週のやぎ座もまた、そうした自分を奥深いところで蠱惑していくようなものや相手に、きちんと身を委ねていくことを大切にしていきたいところです。
やぎ座の今週のキーワード
「それはティファニーみたいなところなの」