やぎ座
自分に花を咲かせる
会心の「やったるぞお」
今週のやぎ座は、『春立や菰(こも)もかぶらず五十年』(小林一茶)という句のごとし。あるいは、会心の「やったるぞお」をぶち上げていくような星回り。
「菰もかぶらず」とは乞食にもなることなくの意。ここは明らかに、芭蕉が49歳の時に「なし得たり、風情ついに菰をかぶらんとは」(栖去之弁)と世俗を脱していたった境地について述べていたことを受けての表現でしょう。
自分のような俗物は、そういう高尚なマネはとてもできない。まずは乞食になることなく50を迎えられた。それだけでまずは目出度しさ、ときたもんだ。
とはいえ、自分のようなものはとは言っても、掲句には自虐であるとか深刻な自意識過剰さは感じられない。むしろ、50になったら何かをやってやろうと思っていた人間の「やったるぞお」的な気持ちの弾みに近いように思われます。
実際、作者はこの年の暮れに故郷・柏原に帰って、終の棲家としています。そこで若い頃にはとてもできなかった、自分の家を得て、妻をもつだけでなく子をもうけて育てる生活を送ることになるわけですから、まさに心機一転、会心の「やったるぞお」だった訳です。
2月14日にやぎ座から数えて「生きがい」を意味する2番目のみずがめ座で火星と冥王星とが重なって「大胆な断行」が強調されていく今週のあなたもまた、ひとつそれくらいの計を固めるつもりで過ごしてみるといいでしょう。
「住する所なきを、まず花と知るべし」
世阿弥が完成させたと言われる能は、現在からみれば伝統芸術ですが、実際に世阿弥が生きた時代においては目まぐるしく変わっていく最中にあった「現在の芸術」であり、今そこで作られつつあるものでした。
珍しさが求められ、新しさが観客の関心のまとであり、毎回公演ごとに変化していくことこそが芸術の価値だったのです。
その意味で先の言葉の「住する所なき」とは、住居のことではなくて、「同じ所にとどまり続けることなく」の意味で、すなわち自己模倣のうちに同じことを繰り返す惰性の人生のことを指し、そうした惰性の罠から脱け出していくことが「花」=芸術の中心であると言っている訳です。
今週のやぎ座の文脈に即して言えば、それはこれまでの自分のままでやっていこうとする「住する」の精神をどこかで捨て、卒業していくということでもあります。世阿弥の言葉は厳しいですが、今こそ耳を傾けていきたいところ。
やぎ座の今週のキーワード
さよならだけが人生さ