やぎ座
暗い廃墟と差し込む光
背後からのすべりだしの最中で
今週のやぎ座は、丸山真男の「止揚」のごとし。あるいは、改めて伝統として蓄積されてきた思想に立ち返っていこうとするような星回り。
戦後日本を象徴する進歩的知識人であった丸山真男が『日本の思想』で指摘した学問におけるタコツボ型の閉鎖主義や、欧米の流行思想を真似たり、ちょっと洒落たことを言えば「思想」や「金言」として通用してしまう状況は、1961年の発売から50年以上が経った今でもそう変わりないどころか、悪化さえしているように思えます。
丸山は、たとえ社会の現代化や「ハイカラな外装」のかげに隠れることによっていかに影がうすくなったように見えたとしても、日本人の生活実感や意識の奥底には、「無常感やもののあわれや固有信仰の幽冥観や儒教的倫理」などの日本の「伝統思想」が深く潜入しているのだと述べた上で、次のように述べています。
むしろ過去は自覚的に対象化されて現在のなかに「止揚」されないからこそ、それはいわば背後から現在のなかにすべりこむのである。
「止揚(しよう)」という言葉がドイツの哲学者ヘーゲル発の輸入用語であるというツッコミどころはあるにせよ、いまの大方の日本人が、自分たちの置かれた状況や立場をめぐって、何らかのはっきりとした否定を受け止めた上で、認識を一つ上の次元へと導いていくこと(=「止揚」)ができていないという点では、未だに丸山の言う通りでしょう。
丸山はさらに「思想が伝統として蓄積されないということと、「伝統」思想のズルズルべったりの無関連な潜入とは実は同じことの両面に過ぎない」と言い募っていくのですが、これなどは今のやぎ座の星回りにも通底していくはず。
同様に、1月11日に自分自身の星座であるやぎ座で新月を迎えていく今週のあなたにとっても、これまであえて見ないようにして避けてきた批判や問題、そこに隠れている断片的な真実を重い腰をあげて受け止めにいくということがテーマになっていくでしょう。
なにごとか起こりそうな気配
例えば、自分が巨大な廃墟を探索しているところを想像してみましょう。360度目に映るすべてのものが色褪せている環境に囲まれていると、次第に自分もその一部となったような感覚に陥るものですが、そんな折りに突如得体の知れない明るさの感覚に襲われたとき、人はなぜか無性に生き生きしてしまうものです。
そしてそれは、これまで言いたくても直接的に言えなかったこと、現わそうとしてもなかなか現わせないことが、自分と世界とのあいだに不意に開いた「余白」から突如としてバッと飛び出してくる感覚とも通底しているのではないでしょうか。
「余白」のところは、「裂け目」でも「浄土」でも「夢魔の棲み家」に置き換えても構いません。だいたい、世間一般の大多数の人は気にもしていなかったり、そもそも見えてもいなかったりするのですから。
その一瞬のゆらぎは、SNSのタイムラインの話題だとか、フォロワー数の増減だとかに注意力を奪われていれば、ほとんどの場合見逃してしまうでしょう。ただし、黙ってそこに注意を払っていさえすれば、必ずそこで何かこみあげてくるものがある。その対象が物であれ人であれ出来事であれ、そういう何かが起こりそうな気配のあるところに、どうも今週のあなたは惹きつけられていきそうです。
やぎ座の今週のキーワード
真実は光っている