やぎ座
失われたものを求めて
負の遺産はありや?
今週のやぎ座は、敗者たることの学びのごとし。あるいは、ここで抜け道や最短ルートを取るのではなく、あえて壮大な回り道をしていこうとするような星回り。
かつて「人間はいまや流行遅れになりはじめた」とうそぶいてみせた思想家エミール・シオランは、生誕こそが、死にまさる真の災厄だという古代人的な発想を通奏低音に1冊の本を書き上げ、それに直訳すれば『生まれたことの不都合について』という題をつけましたが、彼が提示した人間の営為との向きあい方には、資本主義や民主主義のほころびが明らかになりつつある今こそ、ますますその重要度が増しているように思います。
シオランによれば「人間は心の奥のまた奥で、意識以前に住みついていた状態へ、なんとか復帰したいと渇望している」のであり、「歴史とは、そこまで辿りつくために、人間が借用している回り道にすぎない」訳ですが、ではそんな「回り道」を構成する一部として個々の人生において、どんなことを為し得ると言うのでしょうか。それに関連するであろう断章をいくつか引用してみましょう(出口裕弘訳『生誕の災厄』)。
一冊の本の真価は、扱われる主題の大きさによるのではない(もしそうだったら、神学者たちが飛びぬけて優位に立つことになってしまう)。そうではなくて、偶発的なもの、無意味なものと取り組み、微細なものに習熟する、その流儀にかかっているのだ。重要なものは、かつてどんなささやかな才能をも求めたことがない。
ある個人が、天賦の才に恵まれていればいるほど、精神の次元での歩みは遅々たるものになる。才能は内面生活にとって障碍でしかない。
肝心なことはひとつしかない。敗者たることを学ぶ―これだけだ。
12月13日にやぎ座から数えて「自己浄化」を意味する12番目のいて座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、自身のものであれ社会全体のものであれ、負の遺産を負の遺産として受け止めつつ、「敗者」だからこそ見出すことのできた偶発的なものや無意味なもの、微細なものをひとつひとつ手に取ってみるといいでしょう。
「ご先祖さまになるんだ」
柳田國男の『先祖の話』には、自分からご先祖様になるんだと言っている男が出てきます。その人は、はんてんを重ねて着て、ゴム長靴を履いている白髪の老人で、もとは大工さんをしていたのだと言います。
兵隊として戦争にも行き、それから結婚して子供を育て、さらに孫もでき、既に自分の墓まである。それで、そのうち自分もご先祖様になるんだと言っているという話なんです。
こういう人は、もう所属する会社や職業や、過去の実績、持てる財産なんかはもう自分のアイデンティティを支えていません。自分を支えているのはご先祖様であって、自分もその一員になるんだということがアイデンティティとなっている。これは強いですよ。
だって突然クビになろうが、天涯孤独になろうが、日本が国家不渡りになろうが、ご先祖さまを消すことはできませんし、ゆえにこの人のアイデンティティが揺らぐこともないのですから。柳田はそれにすごく感動している訳ですが、それは彼こそ近代化の過程で失われ、また見えにくくなっていった日本人としてのアイデンティティを研究し求め続けた人だったからでしょう。
その意味で、今週のやぎ座もまた、自分のアイデンティティを下支えしてくれているものが一体どこにあるのかがいつも以上に浮き彫りになりやすいタイミングと言えそうです。
やぎ座の今週のキーワード
私が私であるということが、いつまでもよく分からない、という感覚