やぎ座
ありえたかも知れない人生の具現化
宇宙のように複数であれ
今週のやぎ座は、『紫陽花に毒仰ぐわれと思ひけり』(清原枴童)という句のごとし。あるいは、後ろ向きな自分や未熟で大人げない自分にも居場所を与えていくような星回り。
紫陽花の紫がかった花の色を目にして、ふと毒々しさを感じ、さらには「自分が毒を飲んだらどうなるであろう」と想像してしまったという一句。
こうした句に、どこか子どもっぽい唐突さや脈絡のなさを覚える人もいるかも知れません。しかし、おそらく作者は自分なりの切実さをもって「毒仰ぐわれ」を身近な景のなかに幻視してしまったのでしょう。
少なくとも、一度でも自死を選ぶか否かというぎりぎりのところまで悩んだことのある人であれば、雨に濡れた紫陽花というものが、どこかこちらを日常から遠く離れた世界へと誘うものであることは感覚的に分かるはず。
もちろん、やがて梅雨があけ、本格的に真っ白な夏の日差しが街中を占めるようになれば、そんなもう「ひとりの自分」がいたことも忘れ去って「唯一人のわたし」に一本化されていくものですが、作者は句作を通して宇宙のように複数であろうとしたのだとも言えます。
6月21日にやぎ座から数えて「わたしとわたし自身のあいだ」を意味する7番目の星座で夏至(太陽かに座入り)を迎えていく今週のあなたもまた、そんな<わたし>の分岐や揺らぎをみずからに許していきたいところです。
アリストテレスの錯覚
テーブルの上に、パチンコ玉をひとつ置く。そして人差し指と中指を交差させたまま、目をつぶってからパチンコ玉をさわると、パチンコ玉がふたつあるように感じる。どうしたって2つあるように思えるんです。
これが「アリストテレスの錯覚」と呼ばれる、大変古くから知られる現象なのですが、要するにこれは、私たち人間の知覚神経系というか現実感覚というものが、ある一定の平衡感覚の枠内だけで管理されているかということを示している訳です。
つまり、平衡感覚に交叉という形でひねりが加えられたり、順番を入れ替えられたりした途端に、まったく新しい体験がうまれてくる。そうなると例えば、タイムスリップとかクローンといったものも、機械やテクノロジーの進歩によって可能になるというより、知覚や感覚体験の操作によって作られうるのではないかとついつい思ってしまいますし、実際にそれを試そうとした人も少なくないのではないでしょうか。
1つのパチンコ玉も、2つになるどころか、誰かに協力してもらって2人でよじれあってさわれば4つになるはずで、それは少なくとも感覚的にはまったくの現実なんです。その意味で、今週のやぎ座もまた、みずからの人生を2倍にも3倍にもしていく方法を、どれだけ実行していけるかということが問われていくでしょう。
やぎ座の今週のキーワード
小さな常識での「ありえない」をひっくり返す