やぎ座
必死こく
「奇怪」にして「崇高」
今週のやぎ座は、「ヌミノーゼ」の体現者としてのお不動さまのごとし。あるいは、綺麗なだけの存在であろうとする代わりにすすんで醜さをまとっていこうとするような星回り。
いつの時代にあっても、自分をやさしく包み込んでくれる対象に人びとは惹かれるものであり、その代表が欧米におけるマリア信仰や、日本における観音信仰であったりする訳ですが、人びとを強く魅了する要素は決してそればかりではありません。
周囲を寄せつけず、こちらを圧倒するようなものに対しても、人びとは惹かれてしまうものであり、そうした存在として日本で古来より人びとを惹きつけてきた最大の存在が「お不動さま」、すなわち不動明王でしょう。仏教学者の渡辺照宏は『不動明王』において、不動明王を観想していく上での特徴は要するに「奮迅、忿怒、威猛」に尽きるのだとした上で、次のような斬新な表現で説明を加えています。
明王は如来の教令を実行するために忿怒身を示現するのである。近代ヨーロッパの宗教学者の用語を借りればヌミノーゼ―恐怖=畏敬の念をおこさせることによって信仰に導くという。不動尊は外に向かっては魔障を脅威し、内においては煩悩を滅ぼすのである。
大乗仏教の代表的な菩薩であり、仏になるという究極目標を脇において衆生救済に専念している観音菩薩がどれも均整のとれた美しい容貌をしているのに対し、密教を代表する仏格である不動明王は、確かに眼も歯もふぞろいで、唇を歪ませ、髪はばらばら、皮膚は青黒いという奇怪な容貌をもっています。
しかし、渡辺はそんな不動明王こそ「奇怪」にして「崇高」という「ヌミノーゼ(言葉では言い難い非合理的で、さまざまな宗教的要素を包含したもの)」の体現者であり、それゆえに人びとはそこに「畏怖」を感じてひれ伏すと同時に、どうしようもなく「魅惑」を感じて引きつけられるのだと言うのです。
5月20日にやぎ座から数えて「表出」を意味する5番目のおうし座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、そうした烈しい矛盾の中に身を置いていくことで、自身もまた少しでも「お不動さま」に近づいていけるかがテーマとなっていくでしょう。
村上春樹の『アフターダーク』の挿話
日が暮れてから夜が明けるまでの一晩のみじかい出来事を描いているこの作品の中に、次のような挿話が出てきます。少し長いですが引用してみましょう。
三人の若い兄弟が嵐に流され、ハワイのある島にたどり着いた。高い山が中央にそびえ立つ、美しい島。その晩、三人の夢の中に、神様が現れる。
『海岸に三つの岩があるから、その岩をそれぞれ転がして、好きなところへ行きなさい。どこまで行くかは自由だが、高い場所へ行くほど、世界を遠くまで見渡すことができる』
翌朝三人は言われた通り岩を転がし、進んだ。(中略)最初に、いちばん下の弟が止まった。「兄さんたち、俺はもうここでいいよ。ここなら魚も取れる」。続いて、次男が山の中腹で止まった。「兄さん、俺はもうここでいいよ。ここなら果実も豊富にある」。長男だけが、どんどん狭く険しくなる道をほとんど飲まず食わずで進み、とうとう山のてっぺんまで岩を押し上げた。長男は山の頂上から世界を眺めた。彼は、誰よりも遠くの世界を見渡すことができた――が、彼がたどり着いたその場所は、荒れ果て、水も食べ物も十分にない場所だった。だけど長男は後悔しなかった。彼は、世界を見渡すことができたから……。
この話から得られる教訓は、「何かを本当に知りたいと思ったら、人はそれに応じた代価を支払わなくてはならない」ということでしょうか。そして、今のあなたがなろうとしているのは、三兄弟のうちの誰にあたるでしょうか。もし迷っているのなら、成果を急がず、いま一度自分の胸に問いかけてみるべし。
やぎ座の今週のキーワード
奴僕行としてのお不動さま