やぎ座
データベースを探っていく
現実思考をいったん脇に置く
今週のやぎ座は、神様の声の生成。あるいは、脳の優位性を左脳から右脳へといったん明け渡していこうとするような星回り。
日本人は「神」をどこかで客観的実在として捉えているようなところがありますが、アメリカの心理学者ジュリアン・ジェインズは1976年に刊行した『神々の沈黙-意識の誕生と文明の興亡』の中で、「3000年前の人類はまだ意識をもっていなかった」し「古代人にとって神とは集合的な経験知の蓄積の発動だった」という仮説を発表し、大きな反響を呼びました。
例えば、紀元前8世紀末のホメロスの『イーリアス』の登場人物は意識を持っておらず、彼らは内から聞こえる神々の言葉に従って行動する、いわば自動人形のような存在であり、彼らにとって感情や欲求や決断は、すべて「神々の声」を実現した結果だったのだ、と。
さらにジェインズは「二分心(bicameral mind)」という言葉を使って、右脳にアーカイブされた集合知が、左脳からの問いかけに応じて返答していたのだと説明するのですが、やがて人類のなかに意識が生まれ、そうした「神々の声」の内容が体系化され、外部化されてくると、次第に聞こえなくなっていったのだと説明しています。
ヨーガ指導者の成瀬雅春は、思想家の内田樹との対談の中でこの仮説を取り上げ、一神教というのは「『聴こえない声』のための空席を脳内に確保するための仕掛け」だが、多神教では「神様との交流の回路がまだ残っている」のではないか、という内田の指摘に対し、こう答えています。いわく、「『神の声が聴こえた』というのは、自分の中にあるデータから引張り出したということ」で、ヨーガで瞑想するのも、「要するにデータベースを探っていく」ということであり「一番必要なことは何でも自分の中にある」のだと。
15日にやぎ座から数えて「集合的無意識」を意味する12番目のいて座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、同じ言語や習慣の上に蓄積されてきた集合的な経験値にアクセスしていくことで、自分なりの「神様の声」を生成していくことができるという視点を大切にしていきたいところです。
バッドトリップしないために
自動車に乗っていて、ハッと運転席を見ると、自分の嫌っているあいつが運転していた。そういう夢をみたことはあるでしょうか。
こうしたビジョンは、自分が生きてこなかった半面である「影(シャドー)」の典型的なイメージと言われていますが、ある意味で、神の声の生成とは、そういう自分の中の嫌な部分、認めたくない側面とどう向き合っていけるかに懸かっているのだとも言えます。
ただし、急にいい人になる必要はありません。そうではなくて、ああ自分の横で、嫌な部分の自分がハンドルを握って運転していることもある。そういうこともあるのだと、なんとなくてでも分かりながら、やっていけるかどうか。
自分のなかのデータベースを何かしら明日のために生かしていけるかどうかを分けるのは、そういう日常生活におけるちょっとした在り方の違いであるように思います。
やぎ座の今週のキーワード
トランスに入る