やぎ座
現実に遊ばされる
人じゃらし
今週のやぎ座は、「何もないとこでつまづく猫じゃらし」(中原幸子)という句のごとし。あるいは、不意に頭がからっぽになっていくような星回り。
ひとりで「何もないとこ」をなんとなく歩いていてつまづく、ということは確かにたまに起こる。あれはどういう理由からかはよく分からないが、感覚的には突然歩き方や足の動かし方がわからなくなってしまった、というのに近い。
そうすると、足そのものや筋肉の問題というより、頭の中の回路や記憶の揺らぎやそれに伴う誤作動のようなものなのかも知れないが、いずれにせよ、それは他の動物に比べて脳の発達に進化の方向性を全振りした「頭でっかち」な人間に特有の現象なのではないか。
そして、掲句ではその横で道端の「猫じゃらし」が風にゆられているというわけだが、それはどこか人間の滑稽さを「くくくくく」と声に出して笑っているようでもあります。しかし、そうして大らかに笑われることで初めて、人間はしがらみや執着から脱け出せるのであって、逆にそういう機会を失った人間ほど憐れでかなしい存在はないのだとも言える。
29日にやぎ座から数えて「融合と一体化」を意味する8番目のしし座で下弦の月(離脱と解放)を迎えていく今週のあなたもまた、自身の存在の根底にある悲しさや滑稽さを笑ってもらうだけの余白をもうけていくべし。
「像(Bild/picture)」との融合と分離
哲学者のウィトゲンシュタインは、「女らしく」であればワンピースを着て、ゆるやかなウェーブのかかった髪型で、優しく微笑んでいる、といった「模像(モデル)」のようなある種の典型的イメージのことを「像(Bild/picture)」と言っています。
これは私たちが何かを理解しようとするときの大きな助けになる反面、ときにその「像」にとらわれ、想像力の可能性が著しく縛り付けられ、「女」であれば本来そこにはさまざまな意味や豊かさがあるのに、それらが閉じられてしまうのだと。なぜそうしたことが起きてしまうのか。それは不安を根こそぎなくそうとして、私たちが時にあまりに現実へ干渉し過ぎてしまうから(現実はコントロールできるという幻想に囚われる)。
例えば先の「女らしく」なら、現実には「女らしくなることと、きちんとした人間になることが矛盾してしまう」(上野千鶴子,『女はなぜやせようとするか』)といった事態は十分に起こり得るわけですが、自分の意見をはっきり述べていたりすると「怖い」し「女らしくない」ということになって、周囲からの目線や社会からの評価によってそういう現実や矛盾を矯正しようという作用が働き、本人も思わずそれに乗ってしまうのです。
もちろん当人としては矛盾がなくなれば不安もなくなると思ってそうするのですが、実際には想像力が減退し思考が閉鎖的になり、また違うところから不安が湧いてきた時の対処がより困難になっていく。今週のやぎ座は、そうした負のスパイラルに歯止めをかける意味でも、今こそ自分の中の「像」を疑い、そこから自分を解放させていきたいところです。
やぎ座の今週のキーワード
現実コントロール幻想