やぎ座
秋風と世界霊魂
この世の垢
今週のやぎ座は、「秋風に殺すと来たる人もがな」(原石鼎)という句のごとし。あるいは、身をすすぎ、さまざまな垢を払い落していこうとするような星回り。
大正三年の句。「もがな」は願望の意をあらわす終助詞で、掲句をそのまま現代語に直せば、「秋風が吹きすさぶなか、(自分を)殺すために来る人がいたらいいなあ」ということになります。
一体作者はどういう心境で、このような句を詠んだのか。前書きには「瞑目して時に感あり、眼を開けば更に感あり 二句」とあり、もう一句は「わが庵(いお)に火かけて見むや秋の風」。
当時作者は、宿宿先の寺の住職のご夫人と恋愛関係となって駆け落ちし、同じ鳥取県の別の町に移り住んでいたのですが、この句に込められた激しさは、寺の和尚や夫人との関係に起因するというより、そもそも医師の家に生まれながら度重なる受験失敗や落第でついに医者になりきれず放浪に身をやつした自分自身へのやりきれなさの方に根があるように感じます。
涼しさを運んでくる秋風は、植物に枯れを、小動物には死をもたらす、大いなる自然の霊力の作用を象徴しますが、作者はそこに自分に必要なものを見出していたのでしょう。
8月30日にやぎ座から数えて「禊ぎ」を意味する6番目のふたご座で形成される下弦の月から始まる今週のあなたもまた、清めるべきおのれの一部をしかと見定めていくべし。
「天」に即しているか否か
掲句の「秋風」という言葉で思い出されるのが、内村鑑三は1894年に発表した『代表的日本人』において用いた「天」という言葉です。これは「世界霊魂(World-Spirit)」と訳されている人間を超えた働きの別名でもあるのですが、内村はこの「天」について、彼とほぼ同時代人であった西郷隆盛と結びつけつつ、次のように述べていました。
静寂な杉林のなかで「静かなる細い声」が、自国と世界のために豊かな結果をもたらす使命を帯びて西郷の地上に遣わせられたことを、しきりと囁くことがあったのであります。そのような「天」の声の訪れがなかったなら、どうして西郷の文章や会話のなかで、あれほどしきりに「天」のことが語られたのでありましょうか。のろまで無口で無邪気な西郷は、自分の内なる心の世界に籠りがちでありましたが、そこに自己と全宇宙にまさる「存在」を見いだし、それとのひそかな会話を交わしていたのだと信じます。
西郷はいわゆる宗教的な人物ではありませんでしたが、大いなるものに開かれた、きわめて霊性的人間であり、内村はほとんどイザヤやエリヤなど旧約聖書に出てくる預言者に近い存在として西郷を捉えていたことがよく分かります。
今週のやぎ座もまた、こうした「天」や「秋風」のような、言葉をこえたところで信じられる自分なりの尺度ということを意識していきたいところです。
やぎ座の今週のキーワード
則天去私