やぎ座
ひとり年寄る
ケジメと孤独
今週のやぎ座は、「木曽路行ていざとしよらん秋ひとり」(与謝蕪村)という句のごとし。
インスピレーションの訪れをただボーっと待つのではなく、自らの生命リズムを確立させながら待つような星回り。
「年寄る」という言葉を、蕪村は明確に「年取る」という言葉と区別して使っています。
人間、何もしなくてもみな平等に年は取るものですが、「年寄る」とは文字通り、年が自分に寄ってくるように、芸術であれなんであれ、ひとつの境地を深めていこうとすることを意味します。
江戸時代の旅というのは、原則的に徒歩ですから、肉体的にも極めて負担が重く、また連絡手段も現代のように発達していませんから、一度旅に出てしまえば二度と同じ場所に戻ってこれる保証はなかった。
それに年齢を重ねるほど、今度の旅が最後の旅になるかも知れぬという予感がのしかかってくるものでした。
蕪村はそういう旅に伴う予感に、色々なものをかけて詠んだのでしょう。
「次で最後かも知れない」ものこそ、自分から足を運んで目を逸らすことなく、じっくり向かい合ってやろうじゃないか、と。
今週のあなたもまた、自分なりのケジメの付け方を貫徹していくためにも、向き合うべきものと向き合う孤独な作業に打ち込んでいくといいでしょう。
自由であるために
人は美しいもの、温かいもの、正しいものを求めて感動したがっていると、どこか誤解している節があります。
むろんそういう面もありますが、人には残酷な話、うら寂しい話で感動するというか、そういうものに触れて「どこか嬉しくなっちゃう」ところが確実にあるものです。
他方、お年寄りは概ね自分が若いころの苦労話をしたがる傾向があり、時に思わず耳を塞ぎたくなるような大変なご経験をされてきた方もいらっしゃいます。
ただ面白いのは、そうした人に限って、なんというかめっぽう明るいんですよね。
おそらく、どこかで区切りがついているのだと思います。十分に、年寄る日々を過ごしてこられたのでしょう。
「年を寄らせる」のは孤独な作業ですが、そういう時間をくぐり抜けていくことで、人はスッと自由になっていくことができる。今週はそういう時間を大切にされてみてください。
今週のキーワード
「年取る」と「年寄る」