やぎ座
呼応してくる感覚
生の実感をつかむ
今週のやぎ座は、「白れむの的礫と我が朝は来ぬ」(臼田亜浪)という句のごとし。あるいは、蛇が脱皮していくように生まれ変わっていくような星回り。
「的礫」はあざやかに白く輝くさまを表す言葉で、「白れむ」は「白木蓮」、白炎のような大きな花を咲かせる。後者は作者が好んで用いた特有の表現で、他にも「台風あがりの白れむの月煌々たり」といった句などもある。
掲句では「白れむの的礫」と外界の描写を畳みかけた上で、「我が朝」というのびのび生きようという昂ぶりがこもった内面を語る語に繋げていくことで、両者が見事に呼応してくる。そこで初めて、輝くような生の実感というのは掴み取り得るものなのだろう。
逆に言えば、自分の内側でだけ、外側でだけといった片手落ちがある状態だと、どうしてもそうした実感はいきいきとは湧いてこない。
両者がせめぎあい、その摩擦の中である種の「脱皮」が遂げられなければ、身も心も遅滞してしまうということを、作者もよく分かっていたに違いない。
5月1日にやぎ座から数えて「情感の爆発」を意味する5番目のおうし座で、水星(コミュニケーション)が天王星(変転と逸脱)と重なっていく今週のあなたも、自分の生の実感を炸裂させていくためにも、大胆で思いきったアプローチを誰か何かに仕掛けてみるといいかも知れない。
ボルヘス@明治神宮
ここで松岡正剛が、当時80歳でほとんど失明状態だったラテン文学の巨人ボルヘスを、明治神宮に案内した時の話を引用しておきたい。
ボルヘスは、玉砂利を踏む人々の足音に耳を傾けつつ、何かを比喩に置き変えようとしていたのだそう。しかも、ボルヘスは神社の見かけや構造など目に見えない景色を必死に想像していたのではなく、「これを記憶するにはどうすればいいか」というようなことをぶつぶつと呟いていて、それはこんな調子だったという。
「カイヤームの階段かな、うん、紫陽花の額にバラバラにあたる雨粒だ」
「オリゲネスの16ページ、それから、そう、鏡に映った文字がね」
「日本の神は片腕なのか、落丁している音楽みたいにね」
「邯鄲、簡単、感嘆、肝胆相照らす、ふっふふ‥」
まるでダンサーがステップを踏むよう!
今週のやぎ座もまた暗闇の中で踊るダンサーのごとく。あるいは、余計な雑音をシャットアウトして、研ぎ澄まされた感覚の奥から聞こえてくる内なる声に従って動いていくこと。
今週のキーワード
失明しても光はわかる