やぎ座
連絡船としての関係性
他者のリアリティー
今週のやぎ座は、「獣への愛を語りし春炉かな」(鈴木牛後)という句のごとし。あるいは、身近なものへのまなざしをじっくりと温めていくような星回り。
「春炉(はるろ)」とは、冬ほどの火は盛んではないがほんのりと火気を漂わせた炉のこと。まだまだ寒さがぶり返してくる桜の頃に使われてきた春の季語だ。
掲句には、まさにそんな季語を添えるのにふさわしい温もりがある。作者は俳人であると同時に現役の酪農家であり、実際に日々を牛と共に暮らし、彼らを育て、慈しんでいるからこそ、その家族のような牛をあえて「獣」と呼ぶことができるのかも知れない。
逆に、都会で暮らし、動物園に行ってゾウやライオンを見て、癒しを感じたりインスピレーションを受けようと目論んでいる人間などとは、どこか一線を画する生活の太さというか、ゆるぎなさを感じてしまう。
そう、私たちはきちんとリアリティーを感じている対象でなければ、ちょうどいい力加減でグイっと押しあったり、まなざしを交錯させたり、対話を重ねていくことはできないのだ。掲句はそんな忘れていた他者の手触りを思い出させてくれる。
4月1日にやぎ座から数えて「対等な他者」を意味する7番目のかに座で、上弦の月("動いてナンボ”のタイミング)を迎えていく今週のあなたもまた、改めて自分が向き合うべき他者やそのリアリティーを取り戻していきたいところ。
「だけ」と「も」の大きな違い
ナルシストというのは、誰かを愛しているふりをしながら、本当に愛しているのは自分だけでありながら、その事実に自分では気付いていない人のことを言うけれど、だからこそ結果的に人を利用しながらも、その事実に耐えきれずに斬り捨ててしまうのかも知れない。乱暴な言い方をすれば、悪人とナルシストの違いはその自覚のあるなしに過ぎないのだ。
でも、裏を返せば自分を愛することそれ自体は、恥ずかしいことでも、幼稚なことでもないのだということであり、大事なのは自分「だけ」しか見えていないのではなく、自分「も」含めた誰かが見えていることなのだということでもある。
そして、そういう「も」での繋がりは、ガチガチに固められた島同士を結ぶ橋である必要はなく、さながら島を行き来する連絡船の航路のように、ゆるやかなものであればいい。
ただ、行ったり来たりすることそのものを楽しめるかどうか、それら航路で結ばれた島々全体を一つのアイデンティティーの下で愛せるかどうか。そこに今週のやぎ座の勘どころである「他者のリアリティー」が紐づいているのだと思ってみてほしい。
今週のキーワード
多島海としての共同体