やぎ座
野生を糧に
異類と交わる
今週のやぎ座は、「交雑」から生まれた生き物のごとし。あるいは、現実と一定の距離をとるのではなく、むしろ現実の只中にどっぷりと浸かっていこうとするような星回り。
交雑とは人間と動物の血が混じることを言いますが、神話世界などで交雑から生まれた多くの存在は、文字通りの「怪物」でありました。
例えば、ギリシャ神話では、ケンタウロスには馬の血が、キマイラやゴルゴンには蛇の血が、ミノタウロスには牛の血が入っており、いずれも常人では決して持ち得ない異常な能力を有し、社会規範から大きく外れた振る舞いをするのが特徴でした。
しかしそうであるからこそ、彼らの野蛮、狂気こそが逆説的に英雄を作り出し、偉大な王を輩出する母胎ともなっていたのも事実でしょう。
その典型と言えるのが、日本神話の女神であったトヤタマヒメであり、その真の姿は八尋の大鰐(やひろのおおわに)という海の怪物だったと伝えられています。
これは異類婚姻譚の典型として取り上げられることも多く、これは自分たちが正統とするのとは違った異類を排斥するのではなく、むしろ取り込み、婚姻を交わしていくことで何事か幸を得るという感覚が古来あったことの証しとも言えるでしょう。
今週のあなたもまた、肌になじまない現実をむしろ積極的に交わり取り込んでいくことで、それを克服していくことがテーマとなっていきそうです。
捨て身でいるということ
人間だって狩りの対象であるはずの獣に殺され、喰われる可能性だって幾らでもある。
本当の意味で海や山と共に生きてきた人というのは、そういう可能性をつねに念頭に置いて、わが身をときに自然に贈与することと引き換えに、獲物を得ているものなのではないでしょうか。
ひるがえって、私たちはどうか。大いなる自然の食物連鎖など知らぬ存ぜぬと言わんばかりに、金銭をもって獣や魚の肉を買い、安全な場所で食らう。
もちろんそれは町場にいれば当然のことではあるのだけれど、自然の循環から遠く離れたところで、狩られた野生の命ではなく、屠られた家畜の成れの果てを吸収し続けていれば、自身もまたいのちの枯れた死に体に近づいていくのもごく自然な成り行きであるとも思えてきます。
ある狩人は、「忍び撃ちは卑怯だ」と語ったという。数百メートルも離れたところから、ライフル銃で熊を撃つことを指して、ぽつりとそう言ったのです。
恐らく彼らの中には、賭けにも似た、捨て身の贈与を介して初めて成り立ついのちの循環や脱人間中心主義的な思想が自然に息づいているのでしょう。
そして今週のあなたもまた、自分が捨て身で居られるフィールドを見出していけるかが問われてくるはず。
というのも、そこにこそ今後のやぎ座が歩んでいくべき道が広がっているように思うからです。
今週のキーワード
生きることは食べること