やぎ座
私を取り戻していく
お互い様の文化の中で
今週のやぎ座は、「蟇歩くさみしきときはさみしと言へ」(大野林火)という句のごとし。すなわち、誰かを励ましていく中で、かえって自分の方が励まされていくような星回り。
掲句では「ひき」と読ませている「蟇」、他に「ひきがえる」「がまがえる」あるいは単に「がま」とも読み、どこか不気味でこちらをぎょっとさせる存在だが、実は無害有益の平和主義者なのだとか。
そのことを知ってか知らずか、人に顔を背けられながらしか動くことのない蟇を、作者は「寂しさを耐えている」姿であると感じ取ったのでしょう。思わず、「寂しいなら寂しいと言え」と声をかけて励ましたくなった。
もちろん、作者は自分自身の姿をそこに見たのであり、蟇を通して自分が励まされた実感を得たのに違いない。これもまた自然と人間、生きものと生きものとのあいだに作り出された「お互い様」の縁であり、ひとつの文化と言えるでしょう。
3日(月)にやぎ座から数えて「ひとりの個人としての在り方の調整」を意味する6番目のふたご座で新月を迎えていく今週は、そうした文化を培うことを通して、少しでも無理や負担を軽減していくことを意識していきたいところ。
条件としての不条理と痛苦
「現世のなにものも、われわれから「私」と口に出していう力を取り上げることはできない」と、シモーヌ・ヴェイユは『重力と恩寵』の中で書いていましたが、実際には私たちはしばしば「私」と口に出すことを忘れてしまいます。
そうして、ふとした偶然がたまたま重なって、出来事が自分から大事な一部を奪い去っていくという不条理を経験し、その痛苦とともに覚醒した時に初めて、私たちは思い出したかのようにやっとのことで「私」とつぶやくのです。
いわば、不条理と痛苦は、「私」という呪文を唱えるためには欠かすことのできない条件となり、そうであればこそ、自身の抱える不条理と痛苦をより深く、よりドラマティックに認識していく必要に迫られていく。
そう、ちょうど、「蟇」を通して「私」を取り戻した掲句の作者のように。
その意味で今週のあなたは、そんな私以前のものが、私になっていくための一芝居を打っていくようとも形容できるかもしれません。
今週のキーワード
重力と恩寵