やぎ座
もうこれでいいということはない
芸術家の人生かくあれかし
今週のやぎ座は、「老骨に残りし花」という言葉に希望を見出していくような星回り。あるいは、自らの老いた父の芸を見てそう述べてみせた世阿弥のごとし。
一般に能の大成者として知られる世阿弥は、もうこれくらいでいいだろう、ということを人生に認めないという仕方で革命を起こした人でもありました。
芸術家たるもの、人生をかけて芸能を完成させるべく精進していくべきであって、年老いても芸の完成への道はまだ続いている。いやむしろ、年老いてからこそ、それまでの経験を活かして、さまざまな花を咲かせることができると考えたのです。
「老いの美」ということが芸能の世界で言われるようになったのも、この世阿弥の『風姿花伝』以降であり、老いることは自由と可能性の出発点となっていった訳ですが、このことは失われゆくものと新たに手に入れるものとが交錯していく今のあなたにとって、一つの指針を与えてくれるのではないでしょうか。
老いるとは、たんなる自己満足のかたまり(=老害)となっていくのではなく、たえず自分の中の先入観や固定観念を崩していくなかで道を完成させていくことでもあるのだ、と。5日にやぎ座から数えて「再誕」を意味する5番目のおうし座で新月を迎えていく今週は、そんな世阿弥の教えをよくよく噛みしめていきたいところです。
ガリレオの場合
例えば芸能とは別の文脈において「老骨の花」で思い出される人物にガリレオがいる。彼は地動説を唱えたことを理由に宗教裁判(異端審問)にかけられ、有罪判決を受けたことで有名ですが、彼を「悲劇の人」にしているのは裁判当時のガリレオが70歳にもなる老齢であったことが大きい。
しかし実際には、なかなかどうして、どうにも食えないじいさんだったように思えてならないのです。
というのも、ガリレオは論争などにもえげつないほどに強かったし、何かの法則を構想して、その計画にアレンジした実験を行っていくという近代科学的方法を最初に始めたのも彼。つまり、ガリレオという人はきわめて現代人に近い感覚の持ち主だった訳で、そういう彼のことだからた友人に「ローマなどに行くと政治に巻き込まれるぞ」といさめられても、「なに、抹香臭い坊主共の政治や宗教裁判くらい」とあまり深刻がらずに、どうもいざとなればなんとかなると思っていたように思います。
もちろん油断はしたのですが、その前に自分の年齢をまったくマイナス要素とは捉えていなかった訳です。
今週のあなたもまた、自分の身一つ守ることに汲々とするより、より大局的な観点で見た時に、決して引くべきではない信念上の戦いに挑んでいくことになるかも知れません。
今週のキーワード
自由と可能性への出発点