やぎ座
自己演出としてのイニシエーション
暮らしのトレードマークと演出の必要性
今週のやぎ座は「櫓の声波を打ちて腸氷る夜や涙((ろのこえなみをうってはらわたこおるよやなみだ))」(松尾芭蕉)という句のごとし。あるいは、自らの人生を彩るにふさわしい演出をほどこしていくような星回り。
最初の5音のところが「櫓の声波を打ちて」で10音もあって、いささか仰々しい句ではあります。
芭蕉はこの句を交えて「乞食の翁(おきな)」という文章を書いていて、それを読むと都会の日本橋から隅田川の川向うの深川にわざわざ隠棲した理由が、あこがれの漢詩の世界のパロディを実践する喜びにどっぷり浸かるためだったことが分かります。
そうすると、川波を打つ櫓の音が響きを噛みしめつつ、はらわたが凍りそうな夜の寒さにさめざめと涙を流すという掲句の意も、あまり真面目に受け取り過ぎるより、そういうある種の‟自己演出”を芭蕉本人が楽しんでいるのだと解釈した方がいいでしょう。
というのも、この時芭蕉は数え年でまだ37、8歳くらい。
人生50年の時代だったとしても気が早すぎるし、どうしたって門人からの施しだけで侘び住まいに明け暮れるライフスタイルを自分のトレードマークにしようという意気込みの方をむしろ感じざるを得ない訳です。
ただそれは「自分はこれから誰とどんな暮らしをしていきたいのか」ということがテーマとなってきている今のやぎ座にとって、ひとつの指針を示してくれもするはず。
つまり、それくらい振り切った演出も“アリ”なのだということ。
ありのままの現実とのぞましい現実
「メタモルフォーゼ(変態)」は、オカルティズムの用語では「イニシエーション」として置き換えられます。
と言うとなんだか堅苦しいもののように聞こえるかもしれませんが、実際には人の手によって創作された歌や物語のほとんどは、完成度の違いはあれど作者が自分を変えるために創った何らかの「イニシエーション」の残滓なのです。
つまり、すべての創作者は文字や歌の中に「のぞましい現実」への足がかりを見出そうとしているのであり、創作以前と以後とで変態を遂げるための背景変換の儀式遂行こそが創作の本質なのです。
その意味で、芭蕉の自己演出も彼なりのイニシエーションだったのだと言えるかもしれません。
あなたが生み出し創ろうとしているのはどんなものなのか。芭蕉がそうしたように、今週はまずはそのディテールから考えてみるといいかもしれません。
今週のキーワード
「乞食の翁」