やぎ座
閉ざされていた回路が開く
何かが「浮き届く」とき
今週のやぎ座は、「暗渠より開渠へ落葉浮き届く」(岡田一実)という句のごとし。すなわち、これまで見えないところにあった思いや気持ちが、パッと白日のもとへ踊り出てくるような星回り。
昔の江戸、大阪なんかは縦横無尽に水路が走っていたものですが、明治時代はいろいろな意味でそうした捉えどころのない流動的なものに蓋をして、暗渠(あんきょ)にして埋め立てられていきました。
時おり柵をこえて暗渠を冒険したり肝試しに繰り出す若者などもいるかもしれませんが、ふつうに生きて歩いている限りまず足を踏み入れることはないでしょう。
そういう意味では、「暗渠」「開渠」「落葉」といった掲句に登場してくる言葉は何かの比喩とかではなく、実際にあったことの写生として受けとるのが一般的ですが、ここでは恐らく現実にふっと湧いてでてきた想像上の水脈のように感じられます。
平地的に生きていると、どうしても記号やお金などの近代的なシステムで動いているものを、自分の中に固定させることが生きていくということになりがちなのですが、作者はおそらく普段は閉ざされていた通路から流れ出てきたものを感じたのではないか。
それは「浮き届く」というあまり見慣れない言葉を使っていることでも明らかであると思いますが、今週のあなたもまた普段なら蓋をしているレイヤーで何かが揺れ動いていくことになるでしょう。
昔の舟乗りの異界感覚
舟乗りたちの言い草のひとつに「板子一枚下は地獄だ」というものがあります。
これは、板子一枚の薄いもので隔てられ、その下に広がっている世界というのはもうまったく人間の力ではどうすることもできない異界であり、そこに落ちたら到底生きて帰ってはこれないという感覚をよく表したものと言えるでしょう。
かつての舟乗りたちは、そういうなまなましい感覚を舟底でつねに感じていたし、水路を伝って街の人々の意識のあいだにもそういう感覚というのがやはり少なからず浸潤していたのではないかと思います。
そこでは異界というのはどこか日常からかけ離れた縁遠い世界ではなく、つねに日常のなかにスッと入り込むように、いつでもこちらの手をとらんとしてくる裏側の世界としてあり、水路というのはそうした異界と直接つながっていた訳です。
どうも今週はそうした異界との繋がりが強まったり、見えない世界からのメッセージが届きやすい時期なのだとも言えるかもしれません。
今週のキーワード
「板子一枚下は地獄」