
かに座
見知らぬ香りの方へ

酒香る戦車
今週のかに座は、『恋猫の酒樽を飛び跳ねてゆく』(高橋とも子)という句のごとし。あるいは、少しだけ後に香るくらいに感情を走らせていこうとするような星回り。
季語は「猫の恋」で、早春に発情期を迎える猫の行動を指しますが、この季語を用いた句に多いどこかふにゃふにゃした作品とは一線を画した、スッキリとした後味の一句。
掲句の「恋猫」は、猫のことまでどうしても自分たちの側に寄せて考えがちな人間の恋など知ったこっちゃないと言わんばかりに、目の前を駆け抜けてどこかにいる未知の相手のもとへ、本能のままに、颯爽と飛び跳ねていく。
かに座はタロットカードではよく「戦車」のカードとひもづけられますが、このカードは瞬発力を最大限に発揮する短期決戦を象徴するもので、普通なら尻込みしてしまうような状況であっても、「シュババババ」と即座に、かつ大胆に行動していくことで乗り越えていくような活発さや何事かを勝ち取る情熱にあふれています。
掲句が心憎いのは、そんな戦車のごとき恋猫の行動だけでなく同時に「酒樽」を配置していることでしょう。そのおかげで、恋猫にあっけに取られるだけでなく、その後にほんのりと漂うアルコールの匂いに人間臭さを嗅ぎつけ、少しだけその残り香に酔いしれることができるはず。
2月5日にかに座から数えて「大人の人間関係」を意味する11番目のおうし座で上弦の月(行動の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、自分が酔っぱらうのではなく、周囲や誰かをほんの少し酔わせるような仕方で動いてみるといいでしょう。
微妙で複雑な、名状しがたい関係
古井由吉の小説『槿』は、40歳過ぎのもう若くはないが老いてもいない独身男の杉尾が主人公で、ひょんなことから“誘いかつ拒む身体”をもつ女性と向かい合うことになり、自分でもどうしたらいいのか分からなくなってしまうという場面が繰り返し登場してきます。
例えば、献血所の寝台で隣り合わせたところから縁が生じた31歳の女性のアパートでの場面。
「一度きり、知らない人に、自分の部屋で、抱かれなくてはいけない、避けられないと思ったんです」
言葉とはうらはらに、男の沈黙に押されて、やめて、と哀願する光が目に差した。杉尾は顔をわずかに横へ振った。
相手の女性はここで禁じつつ誘い、誘いながらも男性の動きを固く拒んでおり、その両義的な姿勢のただ中で、甘い花粉を散らす花となって静止しているようでもあります。当然、男性の方も困惑のなかで動きをとめ、「きわどい釣合い」によって宙を吊られ、「張りつめた静かさ」のなかで苦痛なのか快楽なのか分からないものが熾り立っていく。
ここには、恋愛だの情事だのといった手垢のついた言葉では形容することのできないような微妙で複雑な、名状しがたい倒錯的な関係があり、男性は何度かそうした関わりを経ていく中で、いつの間にそれまでの安定した秩序からはみ出していることに気が付くのです。
今週のかに座もまた、そうした男性と女性の間の、また運命と運命のあいだの、絶えず伸び縮みするような妖しい間合いへと、不意にはみ出してしまうことになるかも知れません。
かに座の今週のキーワード
「シュババババ」





