かに座
瓦礫の中にいるからこそ
遠き人を思う
今週のかに座は、『似しひとに心さわぎぬ秋深し』(長谷川ふみ子)という句のごとし。あるいは、ひとりの血の通った人間としてみずからの素直な心情を顕わにしていこうとするような星回り。
今ならSNSやショート動画でということもあるだろう、街角で、たまたま見かけた人の横顔や後ろ姿が、どこかよく自分が見知った人に似ていたように感じられたのだという。
それで胸が激しく波打ち、時間がたってもそのことが頭をちらついて離れないということは、きっと「似し人」は作者にとって会うことを切望しているにも関わらず会えずにいる人か、もはや会うことが決して叶わない人であるかのどちらかなのでしょう。
実際、掲句は戦争中に詠まれたもので、作者の夫は兵役で海を隔てた遠い戦地に行っており、いま帰ってきている訳がないどころか、もう2度と会うこともできない可能性だってありました。そんなもしもの不吉な事態など考えたくもなかったはずですが、それでも秋は深くなり、深くなる秋は身に沁みて遠き人を思わせるのです。
掲句は決して技巧的に秀でたところがある訳ではありませんが、ささいなことで心さわぎ、1人寝のさびしさで夜も眠れなくなっては、枕を濡らしていそうな女ごころに真実味があるからこそ、どんなに時代がたっても人の心を揺さぶる力があるのかも知れません。
11月1日にかに座から数えて「表出」を意味する5番目のさそり座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、血であれ涙であれ言葉であれ変に抑え込まず、自然とあふれだす心に任せていくべし。
廃墟からこんにちは
例えば、日本最古の歌集である『万葉集』というと、すごく素朴でひなびた世界がのびのびと書かれているんじゃないかと思われがちですが、実際にはそうではありません。
天皇中心の中央集権国家を建設すべく大化の改新を起こした中大兄皇子(天智天皇)が遷都した大津宮も、壮絶な内乱であった壬申の乱(672)のため、たった5年しか使われませんでした。作っては棄て、作っては棄てで、残された都には敗者の怨念が残った訳です。
そして、そこに登場してきたのが柿本人麻呂(645~710頃)で、彼はそうした怨念を慰め、鎮魂するための「文学」として、和歌の形式を確立していったのです。したがって、人麻呂の根底にあるのは、かつてあった都市文明が壊れてしまったという「喪失」の感覚であり、俳句や和歌に限らず日本文学の源流というのは野生や野蛮からではなくこうした深い喪失体験が温床になっているんですね。
その意味で今週のかに座もまた、単に無批判に「〇〇ってこんなにすごいんですよ」などと快楽的なだけの物語を提示するのではなく、不快でネガティブな物語も飲み込んだ上で、自身の物語を紡ぎだしていくことが求められつつあるのだと言えます。
かに座の今週のキーワード
敗者の怨念をまとう