かに座
思考放棄へのキャンセル
自由な判断を呑みこむ獣
今週のかに座は、アランの語る「レビヤタン」の動きのごとし。あるいは、みずからの精神の「酔い」を少しでも醒ましていこうとするような星回り。
レビヤタンは、聖書に登場していくる硬いうろこと巨体を持って火を噴く怪物であり、「神の敵」や「悪の象徴」として語られることの多い存在ですが、アランによる同名の断章では次のように語られています(『四季をめぐる51のプロポ』)。
レビヤタンはばかな奴だ。うまい思いをつくり出す者、そこからまた、この世の最大の悪をつくり出す者。人々が集まることによって、人間精神が引っ込む。戦争はそのことを確証している。確証すぎるほどの証拠だ、なぜなら、戦争はわれわれを酔わせるから。
アランはここで、戦争というものをごく平凡な日常を生きる私たちとは縁遠い、神話上の非日常的な存在としてではなく、むしろごく些細な「争いごとを通して、人間精神が恐るべき獣ともなりえる」その延長線上にあるものとして描き出そうとしており、人間が群れをなそうとする限り、レビヤタンはその傍らにあり続け、自由な判断を呑みこむだろうと言うのです。
反対であれ、賛成であれ。酔いには三段階あることは、だれでも知っている。サルのように真似る人、獅子のように吠える人、豚のように寝る人。この第三の人物が表しているのは生理的欲求の支配であり、諦めで染まった泉である。乗り越えることのできない柵。なぜなら、自分が考えねばならないことをみんなに訊いているのだから。
10月24日にはかに座から数えて「生まれ持ったサガ」を意味する2番目のしし座で下弦の月(意識の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、ひとり静かにある時よりも、誰かとともに昂ぶっているときほどアランの言葉を思い出していくべし。
アーレントの予見
ロシアが世界の無関心を頼みにウクライナ侵攻へと踏みこんでいったことを考えると、1951年に刊行された『全体主義の起源』におけるハンナ・アーレントの次のような記述は、まさに今日の政治状況を予見したものとも言えるでしょう。
全体主義支配にとって理想的な被統治者は、筋金入りのナチス信者でも筋金入りの共産主義者でもなく、事実と虚構の区別(つまり経験の現実性)も真と偽の区別(つまり思考の基準)も、もはや存在しないような人びとなのだ
アーレントはさらに、このような人びと(大衆)は、「すべてを信ずると同時に何も信じず、あらゆることが可能であると同時にあらゆることが不可能であると考える」のだと続けた上で、これを「軽信とシニシズムの同居」と言い表しています。
今日の世界情勢において戦争を起こしている当事者たちが利用しているのも、単に騙されて嘘を信じている人々と言うよりも、むしろ事実と虚構の区別事自体を放棄してしまっている大多数の人間であり、だからこそ、いくらファクトチェックをしても彼ら/彼女らに何ら抑止する効果を持つことができない訳です。
そうした人びとにとって事実の代わりになるのは、「〇〇がすべて悪い」といった単純明快で首尾一貫した説明(虚構)であり、彼らにとっては複雑に入り組んだ現実よりもそちらの方がよっぽど現実的に感じるのではないでしょうか。
今週のかに座もまた、あなたを従順で支配しやすい被統治者にしたがるつながりから脱して、いかに冷静さや自由な判断を取り戻せるかが問われていくことでしょう。
かに座の今週のキーワード
「理想的な被統治者」となることへの対抗