かに座
懐かしくも新しい感じを胸に
水のイメージ
今週のかに座は、『魚の序文』のお菊さんのごとし。あるいは、井戸で汲んできた水のようにひんやりと心地いい塩梅で、人や自分を思いやっていこうとするような星回り。
しばしば炎に例えられる「怒り」と同じ様、誰かを恋慕う「好き」という感情もまた互いに熱く燃え上がるものとして、その激しさや勢いが「火」のイメージに託されがちです。
しかし、林芙美子が若い貧乏夫婦の日常を描いた『魚の序文』という小説では、「結婚して苔に湧く水のような愛情を、僕達夫婦は言わず語らず感じあっていた」と書いて、男女間の愛情を穏やかな「水」のイメージに託しています。
この夫婦は、夫のほうは文学青年くずれでまるで生活力がないのに対し、妻のお菊さんは何かにつけてたくましく、物資や働き口をそれは見事に取ってくる機転や機知に富んでいて、彼女のおかげで貧乏ながらも明るさを失いません。
そして、「彼女は猫のように魚の好きな女であった。どんな小骨の多い魚でも、身のあるところはけっして逃さなかった」とあるように、やはりその背景には「水」のイメージがつきまとうのです。
その意味で、8月13日にかに座から数えて「再誕」を意味する5番目のさそり座で上弦の月(行動の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、激しく盛り上がるだけが愛ではない。もっと穏やかで、ささやかな愛の消息を敏感にかぎつけていきたいところです。
水の音
例えば、松尾芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」という句を読むたびに、これぐらい見事に17文字に人間が想像しうるすべてを出しきられてしまうと、あたりはすっかり静かに、すがすがしくなってしまう感じがします。2の句が継げなくなるのです。
とは言え、それでもしばらく時間が経てば、こんこんと湧いてくる井戸水のように、だんだんとあちらこちらからかすかな声があがりはじめ、やがてそれらの声は、みずみずしく新たな「蛙」に変わって、自分をそっと受け入れてくれるような受け皿としての「古池」へと飛び込んでいくことでしょう。
かように、ここで自分のすべてを出しきったと思うくらいの経験だったり、「もう自分は終わった」と感じるような出来事があったとしても、生/性はなんなく続いていってしまう一方で、やはりそこで何かが決定的に変わっていくのがこの世界、ないし人間らしい人間の特徴なのではないでしょうか。
井戸には時おり、何かが落ちて、ポチャンという音がする。それは宇宙的な特異点の発生であり、その瞬間、古い宇宙は消えて、新しい宇宙のただなかに生まれ直してしまう。それで私たちは何かを思い出そうとして、水を汲みにいってはなんとなく気配を伺っているのかも知れません。
今週のかに座もまた、「水」を通じてそんな自らの生の切断と連続の両方を、確かな強度をもって感じとっていくことができるはず。
かに座の今週のキーワード
「彼女は急にせわしそうに、台所に立って行くと、馬穴をさげて井戸端へ水を汲みに出た。茶ぶ台に置かれた空鑵の中には、四匹のみみずが、青く伸びたり紅く縮まったりしている。」(『魚の序文』)