かに座
ただじぶんがわからなくなった
「それが人生なんだ」
今週のかに座は、自由に生きている猫の実存のごとし。あるいは、<人生の素顔>と向きあう時間をゆっくりと味わっていこうとするような星回り。
小説家の保坂和志は「人生を感じる時間」というエッセイのなかで、次のように書いていました。
人間の生きている主観的な時間は、楽しいことは短くあっという間に過ぎてしまい、苦しいことが長くいつまでも終わらない。酒を飲んで騒いでいる一晩は短く、歯の痛みに苦しむ一晩は朝が来ないのではないかと思うほどに長い。あるいは、気を紛らわす何も持たずに人を待っている時間の長さ。もちろん、そのすべてが人生の時間なわけだけれど、私には長く感じられる時間の方こそが人生の本質というか、<人生の素顔>のようなものではないかと思えるのだ。(『人生を感じる時間』)
むろん、筆者も人が無味乾燥な退屈さを避けるべく、楽しいことを探し続けたり、楽しさの中で誰かと笑いあっていることの価値を否定するつもりはないはず。ただ、それが過ぎれば、今度はあまりに人工的でハリボテのような幸福観や寒々しい不自然さ目立つのではないか、という話でしょう。
続けて筆者は「動物たちにとっての<自然状態>とは<飢えている状態>」であり、飢えを奪ってしまったら彼らは自由ではなくなってしまうのだと指摘したうえで、「家の中の猫たちだけでなく、ノラ猫たちも含めて、すべての猫たちが私には<人生の素顔>を見て毎日を暮らしているように見える」のだと述べています。
その意味で、13日にかに座から数えて「投企」を意味する5番目のさそり座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、そんな楽しい訳でも、労働している訳でもない、しかし「それが人生なんだ」としか言いようがないような時間と向きあっていくべし。
『死の棘』の言葉の羅列
島尾敏雄の『死の棘』という小説は、夫の不倫が妻にばれたところから始まるのですが、ただの痴話喧嘩などでは済まず、奥さんはその事実によって精神に異常をきたしてしまい、ひたすらに夫を責めるのです。というか、攻撃する。そして夫はひたすらに耐え忍ぶのみ。言ってしまえばそれだけの小説なんです。
しかも話がすすむにつれて主人公であるはずの夫も頭がおかしくなっていくのですが、病んだ描写や言葉のやりとりも、それが続き過ぎると「人生を感じる時間」になってくるから不思議です。
「あなた帰りたいなら帰ってもいいわよ。あたしはもう少し散歩をします」
「そんなことを言わないで引きかえそう。湯ざめしてかぜでもひいたらどうするんだ」
「あら、あなた、あたしのかぜをひくのがそんなに気になるの。あんなに長いあいだちっともかまってくれなかったくせに」
「それはへんな言いがかりですよ。ミホ、忘れないでくれねえ。昼間墓場のそばのところでもう決してハジメないと誓っただろう」
「あたし今ハジメているのじゃありません。ちかったことは忘れませんよ。あたしはうそが大きらいです。今だってあなたをちっとも責めてなんかいないでしょ。ただじぶんがわからなくなったんです。あなたはあたしが好きなのかしら。それがわからないの。ほんとうはきらいなんでしょ、きらいならきらいとはっきりおっしゃってください。蛇のなまごろしのようにされているのはあたしたまらない」
これはこれで、「生きるとはこういうことなんだ」としか言いようがない時間の味わいなのではないでしょうか。そして今週のかに座もまた、時間が余ってしまった子どものように、少なからず途方に暮れていくことになるでしょう。
かに座の今週のキーワード
くるくるくるくる