かに座
さながら捨つべき
我は「世に棲む患者」なり
今週のかに座は、グレン・グールドの必ずしもクリエイティブでない日々のよう。あるいは、コウモリと共に活動を始めるくらいのつもりで過ごしていくような星回り。
自分のことをカナダで「もっとも経験を積んだ世捨て人」と呼んでいた天才ピアニスト、グレン・グールドは、あるインタビューの中で自身のスケジュールについて次のように語っていたそうです。
僕はきわめて夜型の生活を送っている。その理由はおもに、日光があまり好きではないからだ。じっさい、明るい色はどんな色でも気分を落ち込ませる。僕の気分はだいたい、どんな日も、空の晴れぐあいと反比例するんだ。「暗雲の向こうには必ず銀色の光がある」ということわざがあるが、ぼくの個人的なモットーは昔からずっとその反対で「銀色の光の向こうには必ず暗雲がある」だ。だから、用事はできるだけ遅い時間に設定して、夕暮れにコウモリやアライグマといっしょに活動を始めるようにしている。(『天災たちの日課』)
他にも彼のおかしなジンクスの数々を読んでいると、思わず「それって人としてどうよ」とツッコミを入れたくなる一方で、精神科医・中井久夫の「世に棲む患者」という概念を思い出さずにはいられません。
これは患者を制限の多く抑圧的な「世の中」の“普通”に適応させるのではなく、むしろ「世の中」それ自体をもっと多層的なものとして捉え、その中での特異性を発明しつつ生き延びる人々を肯定するために使われたもので、まさにグールドのような人のための言葉と言っても過言ではないでしょう。
11月5日にかに座から数えて「生きやすさを深めること」を意味する2番目のしし座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、今季のかに座もまた、グールドのように生き延びるために“異常さ”をつぎつぎと発明するくらいの気概が欲しいところです。
“多分”を打ち捨てる
人間誰だって楽をしたいし、ともすれば“多分”をつけ、周囲や世にならって今日や明日について考えていきたいもの。ただ、それがいつの間にか「これまでも、昨日もこうだった。だから今日も、そしてこれからも多分同じに違いない」となるまで、そうは時間はかかりません。そうして惰性のままに、“多分”というカミソリでみずからの実存を削ぎ落してしまうのです。
それが行き過ぎると、火事が起きても「ちょっと待てよ」と立ち止まったりして、思いを遂げないうちに死んでしまったりする。国家規模の災難を経験していた兼好法師は、やはりそうした人間心理を踏まえた上で、『徒然草』の第五十九段に「大事を思ひ立たん人は、去りがたく心にかからん事の本意を遂げずして、さながら捨つべきなり」と書きました。
つまり、本当に事を起こさんと思うなら、心に引っかかることや心配事があっても、それらを捨ててやってしまうべきで、そうでないと何も出来ずに一生が終わってしまうのだと。
その意味で、今週のかに座もまた、“多分”を捨てて、思い切って心に引っかかっていた実存を掬い上げるべし。
かに座の今週のキーワード
「銀色の光の向こうには必ず暗雲がある」