かに座
大した人間ではございません
ボワーっとした媒介物
今週のかに座は、『金魚屋のとどまるところ濡れにけり』(飴山實)という句のごとし。あるいは、得体の知れない“何か”として自分自身を捉えていこうとするような星回り。
昔は夏になると、いろいろな物売りがやってきたものでしたが、作者もまたここでおそらく自身の遠い記憶をたどっているのでしょう。
「金魚売」というのも、戦前生まれの作者の年代を考えると、今でも縁日の夜店で見かける紙のポイで遊ぶ金魚すくいではなくて、金魚を入れた桶を天秤棒にかついで、のんびりとした、どこか間延びした呼び声で道をゆく、古きよき時代のもののように思います。
呼び声がなくても、遠くからやってくるのがすぐに分かるのは風鈴屋。やはり天秤棒などにたくさんの風鈴をつるして、ゆっくりと歩いてくるので、わずかな動きでも、風鈴がゆれて、さまざまな音が鳴る。すると、「おや、いよいよ夏がきたね」と誰もが感じ入ったもので、それが夏の風物詩だった訳です。
一方、金魚売の方は、呼び止められて、荷をおろす段になって、桶からすこし水がこぼれる。「去年もらったのが、まだ一匹生きてますよ」などとしばし会話を交わして金魚が買われたり買われなかったりして、金魚売はまたゆっくりと移動していく。それで、地面に濡れ跡だけがのこって、次第に呼び声は遠ざかって行く。そうやって、金魚売というのは「存在」と「非存在」とをつないでいたんですね。
7月18日に自分自身の星座であるかに座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、過去と未来、誰かと誰かとを結びつけている、何かボワーっとした媒介物になったつもりで過ごしてみるとちょうどいいでしょう。
大説と小説
もし今のあなたが物語を書いて本にして出版するとするなら、一体どんな肩書きを名乗るでしょうか。ここで思い出されるのは、かつてどこかで、高橋源一郎が「小説を書いて作家というのはつまらない。小説は『大説』に対する小説だから」と述べていたこと。
大説というのは仏教の経典であったり、大上段から天下国家を語ったりするものであって、それに対して小説というのは本当に小さなことをあえて取りあげていく。
それは「つまらないものでございます」という自己卑下であると同時に、声なき人たちの声を聞き、名もなき人たちのところに視点を置いて、人間のもっとも弱い部分、一番みじめな部分を書くことで、結果的にそこに光を見出していくのだという自負であり、それこそが物語や小説の得意としていることなのだと。
その意味では、今週のかに座もまた、高橋のいう「小説家」の本分に即して、できるだけ声なき声を身に宿してそれをさらに深化させていく方向に力を使っていきたいところです。
かに座の今週のキーワード
「存在」と「非存在」とをつないでいく