かに座
菩薩道
ソウル・メイキング
今週のかに座は、「智者の変化の聖者を誹り妬みて、現に閻羅の闕(みかど)に至り、地獄の苦を受けし縁」というお話のごとし。あるいは、この世にいながら目に見えない何かをせっせとつくっていこうとするような星回り。
わが国最初の仏教説話集として9世紀初めに成立した『日本霊異記』のなかに収録された、この長くて難しいタイトルは、行基という素晴らしいお坊さんのことを妬んでいた智光というお坊さんについての話です。いわく、とても知恵のある人ではあったのですが、行基がみんなに尊ばれて大僧正にまでなるので嫉妬を抑えきれなくなって、つい自分のほうが優れているのにとか、あることないこと悪口を言っていたら病気になって死んでしまった。
それで閻魔の宮殿に行って地獄で拷問されて苦しみを受けるのですが、その際、西の方に立派な楼閣が見えるので、「これは誰がお住みになられているのですか?」と聞くと、「お前は知らんのか、行基菩薩が亡くなられたら住まわれるのだ」と聞く訳です。結局、智光は死後9日目に生き返って、行基に心から謝ることで助かり、以降は行基を菩薩と信じてその教えを伝え、迷う人々を正しい道に導いたのだとか。
こうしたお話は詩人ジョン・キーツの言っていた「ソウル・メイキング(魂づくり)」ということにも通じていますが、話をひっくり返せば、この世であこぎなやり方で儲けたり、誰かの足を引っ張っていい思いをしたりしていると、向こうでは自分の魂を閉じ込める牢獄ができていくということでもあります。
その意味で、6月26日にかに座から数えて「心の基盤」を意味する4番目のてんびん座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、目に見えない裏の世界でどんな家を建てるか、という視点から、この世での過ごし方を考えてみるといいでしょう。
老子が示す生き方の極意
老子の『道徳経』の第十章は、珍しく老子自身が日々の生活の中での心がけを説明している箇所で、今日のビジネスの常識からすれば一見すると消極的すぎるように見えつつも、それでいて強靭な生き方の極意のようなものが示されています。その冒頭は次の通り。
日々の生活の中で汚れる自分を見つめながら、自分の良心を守って、そこから離れないようにできるか。息をこらし、心を開いて嬰児のようにできるか。幻想をぬぐい去って、良心の鏡(「玄覧」)に一点の曇りもキズもないようにできるか。(中略)万物の生死に面しても女性の母性のように、これを受け入れることができるか。
この最後の一文にこそ、老子という人が『道徳経』という名称から連想されるただの堅物ではないことがよく表れているように思います。最初の3つの文では、普段から不満や心配に振り回されず、目の前のするべきことへ集中しつつ、心身を赤子のように柔軟でいるよう呼びかけ、最後の一文で、それでも自分の手ではどうしようもできない事に直面したら、母性の心をもって向きあおうと言っています。
つまり、生きるか死ぬかのギリギリのところまできたら、もう善悪や良し悪しで物事を裁くような男性的な原理一辺倒では駄目で、「女性の母性」こそが必要だと言っているのです。その意味で、今週のかに座もまた、日頃から自分の心が払っている犠牲やそれによる疲弊に対して、できる限り真摯に向き合っていくことが求められていくでしょう。
かに座の今週のキーワード
あるがままの実践は命懸け