かに座
神さまの味がする
霊的な歓び
今週のかに座は、「gustus」というラテン語のごとし。あるいは、食べ、味わい、内に取り入れていく対象を、改めてきちんと吟味していこうとするような星回り。
これは英語でいうと「taste」のことで、味覚や趣味とも訳される言葉なのですが、哲学者の山内志朗によれば、12世紀の神学書にはこの「gustus」という語が頻出しているのだとか。いわく、gustusの対象となっているのは神さまであり、そこでは「味わうことは知恵(sapientia)に属し、見ることは知性(intellectus)に属すと言われ」ており、「知性は鋭敏に見出す能力ですが、知恵は霊的な歓びに向かうもの」であり、そのことは近世以来長らく忘れ去られていたのだそうです(『感じるスコラ哲学』)。
さらに、聖体拝領の際のパンと葡萄酒はキリストの肉と血である訳ですが、キリストの肉を食べるということは、じつはキリストに食べられるということでもありました。すなわち、キリストの自然的な身体はすでに死んでいても、神秘的な身体はまだこの世に残っており、それが教会であるということ。そして、その構成員になるということは、キリストの身体の一部になるということを意味し、司祭がパンを持ってきて「これは私の体である」と言うことでキリストに成り代わって最後の晩餐をする聖体拝領とは、そのための通過儀礼だったという訳です。
1月22日にかに座から数えて「息継ぎ」を意味する8番目のみずがめ座で新月を迎えるべく月を細めていく今週のあなたもまた、ある意味でそうした「食べる」こと、感じることを通してどうしたら自分を越えた何か大いなるものの身体の一部となりえるか、そしてその神秘的な身体に生気を与え、活気づけることができるかということが問われていきそうです。
鈴木秀子さんの場合
名門ブルーノート・ニューヨークに、日本人ヴォーカリストとして初めて出演したヴォーカリストの鈴木重子さんが、インタビューの中で面白いことを言っていました。彼女は東大卒の秀才としても知られ、少女時代は勉強に明け暮れる日々だったのだそうです。
私は毎日、明日のために生きていた。明日の試験のために勉強する。明日の何かのためにこれをやる。でも先生たちは、いま音楽をやっているのが幸せと言っておられた。その違いって大きい。こんなに充実して、こんなに生き生きしている人がいるとは思ってもみなかった。それまで私は、今日やりたいことをやって、明日どうするんだろうって思ってたんですよ。「今日やりたいことをやるとハッピーだから、明日もやりたいことができる」っていう循環について考えたことがなかったんですね。それを気付かせてくれたのがこの二人だった(「weekendインタビュー―MSNピープル」)
彼女はこうして「今後の抱負を考えるより、その日のこと、今この瞬間のことを大事にする生き方」を体得したそうですが、これはアリとキリギリスの寓話のキリギリスのようなその日暮らし的な刹那主義と一見すると似ていますが、実際にはまったく異なり、言わば知的に見出されるものから「霊的な歓び」に向かったのです。
今週のかに座もまた、この瞬間、瞬間を大切に生きていくなかで、自然に自分のところにやってくるものをしっかりと受け止め、嚙みしめていくべし。
かに座の今週のキーワード
人間にとって知性より大事なもの