かに座
私はあつくるしい人間でございます
こちらは7月19日週の占いです。7月26日週の占いは諸事情により公開を遅らせていただきます。申し訳ございません。
鬼城の熱情
今週のかに座は、「御僧の息もたえだに午寝(ひるね)かな」(村上鬼城)という句のごとし。あるいは、みずから自分の定めや運命に接近していこうとするような星回り。
僧が老いて午寝をしている。その寝たところを見ていると、息をしているのかしていないのか分からないくらいだ、という一句。
それは半ば死人のようでもあるし、ほとんど木石かとも疑われるように、まるで生気を感じさせない様子だったのでしょう。
自身もまた耳が不自由であったり、生活が絶えず困窮していたこともあってか、作者の目は老や貧、弱者、廃疾に対する熱情はとどまることを知らず、そうした境遇を凝縮した世捨て人のごとき目の前の相手に、おのがたましいを集中させているのです。
こうした、たまたま道ですれ違った乞食に深い共感を寄せるとともに、もう一人の自分を見出す感性こそが、作者を並みの人物とは一線を画す由縁となっていたのかも知れません。
24日にかに座から数えて「根源的な不安」を意味する8番目のみずがめ座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、掲句のような偶然をこそ天の恵みとして受けとっていきたいところです。
受苦的存在としての人間
高度医療社会が実現した「誰も病気で死ぬことがなくなった近未来世界」のその後を描いた伊藤計劃のSF小説『ハーモニー』には、掲句とは対照的な次のような一節があります。
わたしはシステムの一部であり、あなたもまたシステムの一部である。もはや、そのことに誰も苦痛は感じてはいない。苦痛を受けとる「わたし」が存在しないからだ。わたし、の代わりに存在するのは一個の全体、いわゆる「社会」だ。
意識が人間の機能として重要視されていた時代も、もう遠く昔に過ぎ去った。今からは推測することも難しいが、かつて「わたし」や「意識」「意志」が選択において重要な役割を果たすと信じられていた時代は決して短くなかったのだ。
「苦痛を受けとる「わたし」が存在しない」かわりに、均質な体験を共有している一個の全体がある、というのは一種のディストピアであり、死の不安や生きていることの不条理さを感じないということは、生きている実感がないということでもあるはずです。
すでに現代社会はそうしたディストピアに傾きつつあるようにも思いますが、そうであればこそ、誰かの「苦痛を受けとる「わたし」」体験を感じ取り、寄り添う人間も必要なのではないでしょうか。そして、それこそが今週のかにのテーマなのだと言えるでしょう。
かに座の今週のキーワード
Discord(不和)を全身で受け止める