かに座
身体の邪魔をしなさんな
現代社会はただ生きてるだけで「修行」
今週のかに座は、わがままボディーのごとし。あるいは、過剰なエネルギーを発散させるべく、とにかく身体をほぐしていこうとするような星回り。
情報の流れがますますハイパーになっていく現代社会では、わざわざ山奥の寺に行って座禅を組むことで超越的に生きようとするまでもなく、情報の滝に打たれながら瞬間瞬間をクリアしていくことそのものが、否応なく「修行」となってしまっているように感じます。
つまり、私たちは日々普通に生活しているだけでも、どんどんエネルギーを発散させていく身体の在り方が知らず知らずのうちに求められている訳で、その一つの方法は消費による発散ですが、買い物や飲酒などの消費による発散ばかりに頼っていると、どこまでも情報に流され、混乱していくだけで、自由に泳げるようにはなりません。
かつてであれば、超能力の獲得だとか超人的な自分を作りあげるといった方向に魅力を感じる人も多かったように思うのですが、今はその人の身体を正しい方向に矯正するというのではなく、その人が自然にあれるよう身体に刻まれた緊張を解いていくという方向にこそ、発散的な身体技法の活路が見出されるのではないでしょうか。
つまり、無理をして自分以上にならないこと、また身体のエネルギーのおもむくままにして、できるだけその邪魔をしないということです。
12日にかに座から数えて「サレンダー」を意味する8番目のみずがめ座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、そうした力みのとれた素直な身体に近づけるべく、できるだけ身体のわがままを聞き届けてあげるくらいでちょうどいいでしょう。
小説における暴力表現の必然
村上春樹さんはそれまでの作品と異なり8作目の長編小説『ねじまき鳥クロニクル』において、“バットで頭をたたき割る”というかなり暴力な行為をはじめて登場人物に取り入れました。
英訳を担当しているジェイ・ルービンさんも村上さんに「どうしてあんなにひどい暴力が出てくるのか」と問いただしたそうですが、村上さんによればこれはかなり意図的なものだったようです。
というのも日本の場合、太平洋戦争のあと、かなり急進的に平和ということが推し進められ、また和というものに異様にこだわりすぎてきたために、暴力に関してかなり抑圧的になってしまい、暴力=悪ということが固定的に捉えられるようになってしまいました。
けれど「平和の時代」などと言い出す前は、社会は滅茶苦茶だったかと言うとそうではない。そこにはある程度のルールが成立していたのですが、現代では暴力に関するルールということさえも感覚的に分からなくなってしまったことで、エネルギーの発散の仕方も下手くそになっていったのではないでしょうか。
暴力の本質にあるそうしたエネルギー自体は、狩猟であれ採集であれ農耕であれ、生き延びるためには必要であり、そういうものは本来誰しもが持っている訳で、それを完全に失ってしまえば単なる”いいカモ”なんです。
今週のかに座もまた、暴力を頭ごなしに否定するのでも抑圧するのでもなく、自分なりの人生物語のなかで、その発露を模索していくことがテーマとなっていきそうです。
今週のキーワード
身体はわがまま、頭はがんこ