かに座
私と私
湯呑と私
今週のかに座は、「一つ置く湯呑の影の夜長かな」(深見けん二)という句のごとし。あるいは、堂々たる孤独を見つけていくような星回り。
秋の夜更け、かたわらには「湯呑み」がある。その湯呑みが一客であること、さらに湯呑みにも影があることに不意に気付いた訳です。
そこでは、ふだんなら見えないものが見える静かな時間が流れている。孤独と言えば孤独なひととき。だが、それも悪くない。
ひょっとしたら、自分よりもずっと深い孤独の境地にいたのかも知れない湯呑みを見て、そう自然と思えてきたのでしょう。
俳句の「俳」という字は「人」に「非」と書きますが、これは人が常識的には別に驚きもしない、何も感じないところにポコッとそこに穴が開く、それをやることが俳句なんです。いわば、非ずの上で在るという孤独ということの本質に、この句はふっと開けている。
10月1月から2日にかけて、かに座から数えて「この世での自分のあり方」を意味する10番目のおひつじ座で特別な満月を迎えていく今週のあなたもまた、どこかで腰が据わっていくような、この世界に自分が在るという感覚の深まりを感じていけるかも知れません。
年齢の織りなす土壌と断層
俳人に限らず、芸術家の世界ではよく言われるように、若いころにつくった初めての作品の中に、後年に開花していく才能の芽が端的に現れていることがしばしばあります。
それは誕生から死までほとんど変わらない一粒の種子が、同時に人生全体を貫くようなコアを成しているように、人の本質はそうそう変わることがないということを我々に教えてくれるよい例でしょう。
特に子どもというのは、かくも小さいがゆえに、経験より想像力に頼るため、その時期に「何を作りだしたか」が、良くも悪くも深くその人の本質を形成してしまうのです。
年齢を重ねると様々な経験は身に付きますが、かえってみずからの想像力の原点を見失ってしまう、という側面もあるはず。
今週のかに座は、さながらそうした年齢に応じて重ねた土壌から突如隆起し、地表にむき出しになった断層深部を発見していくように、かつての自分自身や幼い頃の記憶がよみがえってくるかも知れません。
今週のキーワード
自己一致