かに座
そろそろ生まれ変わるぞい
運命としての変容
今週のかに座は「暁やうまれて蟬のうすみどり」(篠田悌二郎)という句のごとし。あるいは、みずからの弱さを誤魔化さず表し分かち合うことで、危機を生き抜びるための力を生み出していくような星回り。
夜から朝へゆるやかに世界が明けていく「暁」は、新しい1日が今まさに始まらんとしていく聖なる時間。
この句に詠まれた「うすみどり」の蟬もまた、地中から幹まで這い上がって羽化を遂げ、殻を脱いだばかりの姿なのです。
羽化を始めた頃よりも、あたりは次第に明るくなっており、それが余計に「うまれ」たばかりの蝉の透明な存在感を際立たせます。
おそらく偶然目にしたのであろう作者の眼には、その光景は1つの弱さの告白であり、まさにそこから立ち上がっていこうとする再起の表明として映ったのではないでしょうか。
そして、幼虫としての生を終え、蝉として新たな生を得ていかんとする「うすみどり」の存在に、きっと作者は自身の青春の一時期を重ねたに違いありません。
8月4日にかに座から数えて「根底からの変革」を意味する8番目のみずがめ座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、自身の逃れられない運命に向かって一線を超えるための一歩を踏み出していきたいところ。
捨聖(すてひじり)の極意
存在の透明性という点で思い出されてくるのは、鎌倉時代のお坊さんである一遍上人のこと。
一遍は、この世の人情を捨て、縁を捨て、家を捨て、郷里を捨て、名誉財産を捨て、己を捨てという具合に、一切の執着を捨てて、全国を乞食同然の格好で行脚していきました。
その心の内にあったは、彼が「わが先達」として敬愛していた空也上人の教えであり、それは次のように語られています。
「念仏の行者は智恵をも愚痴をもすて、善悪の境界をもすて、貴賤高下の道理をもすて、地獄をおそるる心をもすて、極楽を願ふ心をもすて、又諸宗の悟りをもすて、一切の事をすてて申す念仏こそ、弥陀超世の本願にもっともかなひ候へ。」(『一遍上人語録』)
こうして捨てることのレベルを上げて畳みかけていった先で、一遍は「捨ててこそ見るべかりけれ世の中をすつるも捨てぬならひ有りとは」という歌を詠みました。いわく、捨てきれるだろうかというためらいさえも捨ててしまえばいい。あらゆるものを捨てた気になって初めて、捨てきれないものがあることに気付くのである、と。
これもまた、弱さの表明であり、弱さの分かち合いによる、目には見えない絆を生み出していくための命懸けの実践だったのではないでしょうか。そんな一遍の後ろ姿を、今週は頭の隅に置いて過ごしてみるべし。
今週のキーワード
暁の星