かに座
影を深める
孤影と憂愁
今週のかに座は、「ひややかに日輪蝕し風絶えき」(高橋淡路女)という句のごとし。あるいは、かなしみの向こう側でなにか深いものに触れていこうとするような星回り。
作者は結婚した翌年に夫と死別し、その後まもなく生まれた父なし子を育てながら、ひたすらに句作に励んでいった人。
6月21日の夏至の日は、新月、さらに日食が重なる特別なタイミング(しかも部分日食は日本各地で観測可能)となりますが、太陽が欠ける日食の特別なイベント感も、彼女の口を借りると、途端にどこか身辺の孤影と憂愁の黄昏色(たそがれいろ)を感じさせる何かへと変貌していきます。
日輪、すなわち日の光の穏やかなまるさが突如として失われ、ぴたりと風が止んで世界が暗く陰っていく。それは彼女にとって突然の発病で夫を亡くしたこと、その運命がもたらした苦悩のあとの静けさと、顔に差した「ひややか」な陰影とに重ねずにはいられないでしょう。
女性の俳人には特有の優しさや柔らかさ、愛すべき素直な句、あるいは気の利いた才のきらめきを感じさせられることが多いですが、この作者の求める俳句世界はひたすらかなしみを経た人生の深さに貫かれています。
いまのかに座の人たちもまた、そんな彼女のように人をすっかり深い顔へと変えてしまうような出来事や思いへと存在ごと引っ張られていきやすいように思います。
一遍上人の矛盾
人間の運命的な実相に迫っていく手腕に特別優れていた人物に、一遍上人がいます。例えば、筆者が彼の語録の中で次の言葉に出会ったときは、かなり衝撃的でした。
「生ぜしもひとりなり、死するも独なり。されば人と共に住するも独なり、そひはつ(添い果つ)べき人なきゆえなり」(下68)
すなわち、人間生まれてきたときもひとり、死ぬときもひとりであってみれば、この世で誰といるときも本質的にはひとりなのだ、というのです。神や仏の前では人間はひとりだという教えは珍しくありませんが、そういうものを持ち出さずとも、人間の本質はただひとりあることなのだとここまで単純明快に示した人を、筆者は他に知りません。
しかし、そんな「ひとり」を説いた一遍上人は、一方で多くの人に教えを説き、また女房や子供を捨てきれず共に旅をした人でもありました。この矛盾こそが、一遍という人物のただ事ではない奥深さを創り出しているのではないでしょうか。
今週のかに座もまた、そうした大いなる矛盾の中にこそ、自分をかなしみの向こう側へと押しやってくれるヒントを見出していけるかも知れません。
今週のキーワード
煩悩即菩提