かに座
孤独と痴愚のはざま
「一代の詩人」の肖像
今週のかに座は、石川淳の「敗荷落日」に描かれた永井荷風のごとし。あるいは、「芸術家の孤独」というやつに触れていくような星回り。
作品が書かれた1945年の3月は、永井荷風が自身で偏奇館と名付けた根城を空襲で喪った直後であり、そのことからもこの10ページほどのごく短い小説は大きな不運に遭遇した荷風への一種の心のこもった火事見舞いと読むこともできるでしょう。
ひとつ印象的なくだりを引用してみます。
「わたしはまのあたりに、原稿の包ひとつもつただけで、高みに立って、烈風に吹きまくられながら、火の子を浴びながら、明方までしづかに館の焼け落ちるのを見つづけてゐたところの、一代の詩人の、年老いて崩れないそのすがたを追ひもとめ、つかまへようとしてゐた。」
蔵書が灰になるのを目の当たりにして、立ち尽くす丘の上の老詩人(作者は荷風のことをこう言い表したのは正しいように思う)の姿は、どこかギリシャ悲劇の主人公を彷彿とさせます。
思えば、題にある「敗荷」とは風などに吹き破られたハスの葉のことだそうで、荷風という名前もそこから採られており、作者はそのことを深いところで知っていた。そう読むこともできます。
23日にかに座から数えて「愛を受けとる場所」を意味する11番目のおうし座で、新月を迎えていく今週のあなたもまた、自分のことを深く知ってくれている誰かの思いを時に烈風に吹かれるがごとく痛感していくかも知れません。
魂の過程に見合った役割の技
「上には誰がいる。下には誰がいる。
隣りには誰がいるのだろうか。
特別というものはなく、単に魂の過程に見合った役割の技。」
これは橋龍吾の「アパート(a part)」という詩ですが、人間というものの面白さは、それ自体が宇宙秩序の一歯車でありながら、同時に途方もなく自由であるために、整然と隣り合っていたり、背中合わせにある存在のことを見失ってしまう点にあります。
それで結果的に部屋に閉じこもって自分は独りなのだとうそぶいたり、不必要に自分の「上」にいる相手に噛みついたり、逆に「下」を踏みにじったりしてしまう。
石川が痛烈に批判したのも、晩年の荷風の肉体の衰弱ではなく精神の脱落であり、「小市民の痴愚」でした。そして批判することで、石川は荷風をもとの宇宙的歯車の位置へ、すなわち「芸術家の孤独」へと戻そうとしたのではないでしょうか。
今週は、自分を整えていくことをどうか大切に。
今週のキーワード
風などに吹き破られたハスの葉