かに座
誰よりも残酷であれ
悪童のまなざし
今週のかに座は、『悪童日記』に出てくる少年のごとし。あるいは、この残酷な世界をタフにしたたかに生きていこうとするような星回り。
この小説は、戦時下にある国の大きな町から小さな町へと連れてこられた双子が書いた“日記”として綴られており、人並みに働かない限り食事を与えてくれない「魔女」と呼ばれる祖母の家で、たくましく生きていかねばならなくなった日々の記録が、浮遊感のある文体で描かれています。
生き残ることにすべてを賭ける彼らの記録には、「子どもは純粋で可愛い」といった決めつけを無言ではねつけるかのような容赦のなさが満ちています。
例えば、彼らは互いに出し合った課題に沿って大きなノートに作文を書くのですが、そこには次のような言葉が出てきます。
「ぼくらは、「ぼくらはクルミの実をたくさん食べる」とは書くだろうが、「ぼくらはクルミの実が好きだ」とは書くまい。「好き」という語は正確さと客観性に欠けていて、確かな語ではないからだ。「クルミの実が好きだ」という場合と、「お母さんが好きだ」という場合では、「好き」の意味が異なる。前者の句では、口の中にひろがる美味しさを「好き」と言っているのに対し、後者の句では、「好き」はひとつの感情を指している。感情を定義する言葉は非常に漠然としている。その種の言葉の使用は避け、物象や人間や自分自身の描写、つまり事実の忠実な描写だけにとどめたほうがよい。」
子どもたちは社会的には確かに弱い。けれど、弱いからこそ、誰よりも残酷に世界を見ようとするものなのかも知れません。
12月3日(火)に「拡大と発展」の木星が約1年ぶりに星座を移り、かに座から数えて「対等な他者」を意味する7番目のやぎ座へ入っていく今週のあなたもまた、子どものまなざしというものが本来どのようなものであったのか、しかと思い出していくといいでしょう。
乞食の練習
子どものまなざしという点で特に出色なのは、「乞食の練習」という章の話。
ふたりはわざとボロを着て顔を汚し、通りで物乞いをするのですが、それを見かけたある婦人は、そんなことをしていないで、家で仕事をしてくれれば、パンとスープを出すと二人に提案するのですが、彼らは次のように答えるのです。
「ぼくら、奥さんのご用を足すために働く気はありません。あなたのスープも、パンも、食べたくないです。腹は減っていませんから」
それを聞いた婦人は、だったらどうして乞食などしているのかと訊ねます。
「乞食をするとどんな気がするかを知るためと、人々の反応を観察するためなんです。」
婦人はカンカンに怒って、生意気だとわめきながら行ってしまうのですが、その帰り道、ふたりは草むらに人々からもらったお金やチョコや林檎を投げ捨てるのです。
こうしたふたりの行為の残酷さは、そのまま彼らの見つめている世界の厳しさの裏返しであり、やはり必要な鍛錬だったのでしょう。今週のあなたは少なくとも、このお話に出てきた婦人からは脱していきたいところです。
今週のキーワード
子ども視点で大人世界を見ていくこと