おひつじ座
欠如態と自己愛と
癒合的な共同性の欠損
今週のおひつじ座は、「会いたくて震える」西野カナのごとし。あるいは、失くしてから初めて何か誰かの大切さに気づいていくような星回り。
2010年にリリースされた西野カナのシングル曲『会いたくて会いたくて』は、特にサビ部分の「会いたくて震える」というフレーズのキャッチ―さで広く親しまれていますが、改めてその部分を抜粋してみます。
会いたくて会いたくて震える/君想うほど遠く感じて
もう一度二人戻れたら…
届かない想い/my heart and feelings
会いたいって願っても会えない
強く想うほど辛くなって
もう一度聞かせて嘘でも/あの日のように‟好きだよ”って…
ここでは失恋の情が「切ない」とか「さびしい」といった抒情的な表現ではなく、「震える」という肉体的な比喩で表現されていて、震えというのは生命が脅かされていることへの生体反応ですから、端的に言えば「失恋して死にそう」ということを歌っている訳です。
もちろん「君」を失っても普通に考えればきちんと食事と睡眠をとっていれば死ぬことはないはずですが、西野の場合、「私」と「君」とが分離不可能な関係性を取り結んでいて、そうした「共に生きているのが当り前」と感じられるような癒合的な共同性が欠けてしまった状態(欠如態)を改めて認識させられ、そのあまりの痛みの鋭さや傷の深さに自分でもゾッとしているのだとも言えるのではないでしょうか。
11月1日におひつじ座から数えて「小さな死」を意味する8番目のさそり座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、どうせ震えるなら脅迫的なまでの西野的「震え」を発していくべし。
自己愛をほどいていく
『愛という病』というエッセイ集の中で、著者の中村うさぎは「女性とは何か?」が分からないのだと言いつつも、次のように綴ってみせます。
「女の病」とは、畢竟、ナルシシズムの病なのである。女のナルシシズムは、他者の愛によってしか満たされない。それは女が自分を「他者の欲望の対象」として捉える生き物だからである。女は他者の欲望を求めることによって自己を確立し、同時に、他者を無化するモンスターなのだ。
思わず血しぶきが見えるような文章ですが、実際、中村はダメ男にハマってしまう女、腐女子、女を出すことに恥を覚える女など、多くの女たちを観察し、その度に、なぜ女は「愛し愛される事」に固執するのか?他のすべてに充足していても「愛し愛される相手がいない」という1点の欠落だけで自分を価値のない存在のように感じてしまうのは何故なのか?と問いを繰り返していきます。
そして、不意に「これさえ解ければ、女たちは今よりずっとラクに生きられるような気がするのだ」などと本音をこぼすのですが、ジェンダーレスが叫ばれ、社会的な意味で「女」というものが曖昧になりつつある昨今だからこそ、彼女の試みはますます重要になっているように思います(もちろん男性だって、今まで女性たちが苦しんできた「生きづらさ」に、これから苦しみ始めるかも知れない)。
今週のおひつじ座もまた、中村がそうしたように、ナルシシズムというもつれた糸を、他ならぬ自分自身の手でほどいていきたいところです。
おひつじ座の今週のキーワード
「女は他者の欲望を求めることによって自己を確立し、同時に、他者を無化するモンスターなのだ。」