おひつじ座
美的なものと結びつけ
ワキャワキャする
今週のおひつじ座は、「ポスト・大衆」を身をもって占う人のごとし。あるいは、貴族的精神の火を起こし、じわじわと広げていこうとするような星回り。
現代は大衆社会と言われますが、1930年に刊行された『大衆の反逆』において、著者のオルテガはこの大衆を「(人類史が生んだ)甘やかされた子ども」と呼び、「多数派であることに安住し、自分のことしか考えない傲慢な人」と定義しました。
20世紀のスペイン内乱やファシズムの誕生を目撃し、「大衆が社会的中枢に躍り出た時代」にあって民主制が暴走する状況を生き抜いたオルテガは、大衆社会を「完全な社会的権力の座に登った大衆というものは、その本質上、自分自身の存在を指導することもできなければ、また指導すべきでもなく、ましてや社会を支配統治するなど及びもつかない」混乱したカオス世界として描写しましたが、そうした傾向は今日においてますます顕著になってきているのではないでしょうか。
彼は人を2つのタイプに分け、「第一は、自らに多くを求め、進んで困難と義務を負わんとする人々」であり、第二は「自己完成への努力をしない人々、つまり風のまにまに漂う浮標のような人々」であると述べています。後者はまさに大衆の実体であり、こうした記述はいわゆるSNSでの人気取り競走や、トランプ以降世界中で露骨になってきているポピュリズム政治を予見していたかのようでもあります。
オルテガは大衆やその運命としてのポピュリズムについて、近代的個人の意識のうちに潜んでいるモンスターであり、そうした大衆気質は今日では誰の中にも存在するのだと喝破した上で、そこから脱け出すことの大切さを説いたのです。
すなわち、いま目の前に見えている二元論的な善悪だったり、目先の自己利益だけに振り回されて性急に結論を出そうとするのではなく、対話を通して忍耐強く共存を志す「貴族的精神」を養うべく、正しい判断を行うためにできるだけみずからの直接的な体験を通して知識や情報を深めたり、偶然の出会いや偶然の一致にワキャワキャしていくこと。
20日におひつじ座から数えて「ネット振る舞い」を意味する11番目のみずがめ座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、まず自分のなかに「いかなる人間をも自分に優る者とは見なさない習慣」がついてないか、よくよく観察してみるといいかも知れません。
想像力の低下と質の破壊
どんな種だって進化の袋小路に入りこんでしまうリスクとつねに背中合わせですが、それでも自身の滅亡にみずから手を貸すようになってしまったら、もうその種は絶滅に近いと言っていいでしょう。歴史を紐解けば、同じことは国家においても常に起きてきましたし、企業や文化、宗教、家系、身体などあらゆるレベルの組織に共通する一つのパターンと言えます。
グレゴリー・ベイトソンにならえば、そうした破滅のパターンは、ある種の「質の破壊」から起こります。つまり、美的でなくなるということ。そしてここで言う「美的」とは、異なるもの同士を結びつけるパターンに敏感であること、量以外のもので生あるものの特徴をとらえること、生あるものに必ず付随する物語が豊かであること等々です。
例えば、ベイトソンは『精神と自然―生きた世界の認識論―』の中で、エビとカニとを結びつけ、オウムとサルを結びつけ、これら4つの生き物を私自身と結びつけ、その私をあなたと結びつけるパターンとは何なのか?と問うていますが、このような問いは、日本の小中学校で発せられることはまずないでしょう。
その意味で今週のおひつじ座は、普段なら結びつけて考えることなど想像だにしなかった「美的」なものと自分自身とをいかに結びつけていけるかが、ひとつの分岐点となっていきそうです。
おひつじ座の今週のキーワード
「野卑な物質主義を逃れる道は奇跡ではなく美である」(ベイトソン)