おひつじ座
幸福と逆説
「これでいいのだ」
今週のおひつじ座は、タモリの弔辞のごとし。あるいは、自分にとっての幸福の条件を改めて確認していこうとするような星回り。
漫画家の赤塚不二夫さんの告別式が2008年8月7日、東京都中野区の宝仙寺で営まれた際、彼を「肉親以上の存在」と慕っていたタモリ氏は、次のような弔辞を読みました。
あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は重苦しい意味の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を解き放たれて、その時その場(瞬間)が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは、見事に一言で言い表しています。すなわち、「これでいいのだ」と。(『文藝春秋 2011年1月号』)
極度の恥ずかしがり屋で、何度入退院を繰り返しても人と会う緊張を和らげるために酒とタバコをやめられなかった生前の赤塚氏の行状は、一見でたらめなものではありましたが、そこには彼の周囲にいたたくさんの人たちが「異様に明る」くなるような瞬間が確かにあったのでしょう。
もちろん、普通に考えれば「これでいいわけがない」のですが、それでも私が生きて在るという事実そのものを消し去ることは誰にもできませんし、その前にも後にも生というものはないのだと肯定するとき、人は永遠に通じている生の瞬間を全力で生きることができる。赤塚氏は、そのことをどこまでも素直に実行できた人だったように思います。
11月8日におひつじ座から数えて「他者による触発」を意味する8番目のさそり座後半に太陽が入り立冬を迎えていく今週のあなたもまた、いつの間にか喪ってしまってた<いまここ>を改めて取り戻していくことがテーマとなっていきそうです。
熊楠と猫楠の会話
水木しげるの『猫楠―南方熊楠の生涯―』は、“幸福観察猫”である猫楠の視点から、日本を代表する民俗学者で粘菌研究者でもあった南方熊楠(みなかたくまぐす)の生涯を描いた作品であり、そこでは世の常識から隔絶したさまざまな議論が軽妙な会話形式で開陳されていきます。
熊楠「粘菌の世界をみても死んだとみえる状態に似ているときに粘菌は最も活躍してるんだ」
猫楠「すると人間は死んだと思われ無だと思われている時の方が本当に生きているのかもしれないナ 人間は死後なにもないと思うのは間違いだナ」
熊楠「案外 死んで無くなってしまったというときに意想外の誕生があって 我々が無上の価値だと思った“生”は実は“地獄”だったということもあるわけじゃョ」
粘菌(変形菌)は変形して移動するアメーバ状の変形体と、まったく動かない子実体という2つの異なる在り方をもち、植物界にも動物界にも属さない原生生物界に分類されています。
鶴見和子によれば、熊楠が粘菌に着目したのは、それが動植物の境界領域にある生物であり、生命の原初形態や遺伝、生死の現象などの手がかりがつかめるのではないかという動機付けがあったのだそうですが、つまり、粘菌は人間世界の常識をひっくり返した逆説を例示する存在だったという訳です。
今週のおひつじ座もまた、熊楠にとっての粘菌よろしく、常識をひっくり返していくための具体的な手がかりを掴んでいくべし。
おひつじ座の今週のキーワード
無だと思われている時の方が本当に生きている