おひつじ座
思い通りにいかないからこそ
原子の動きの偶然性
今週のおひつじ座は、エピクロスの「反跳」のごとし。あるいは、宇宙の描き出す思考の軌道に身を任せていこうとするような星回り。
古代ギリシャにおいて原子論を唱えたデモクリトスは、主観と客観を区別し、客観的知識としての真理を求めた一方で、それもしょせん人間の感覚に立脚している以上、無意味なものに過ぎないと絶望し、みずからの目を潰そうとさえ試みました。
ところが、その理論を受け継いだエピクロスは、デモクリトスのようなガチガチの必然性にがんじがらめになった決定論には陥りませんでした。というのも、彼は「動いているものと止まっているものの違いはどこに生まれるか」、すなわち「運動とは何か」を問い、それに対してデモクリトスのように、すべての運動はあらかじめ描かれうる幾何学的な軌道に回収されてしまうだけとは考えなかったのです。
軌道を描くのは、それぞれの原子それ自体であり、原子は必ずしもその外にある抽象的な幾何学に沿っているわけではなく、わずかにズレており、したがって決定論的な因果関係から逸れているのだと。
こうしたそれぞれの軌道上のズレである「反跳(クリナメン)」によって宇宙は構成されているのであり、このズレによって運動は起きている。ここでいう運動とは、思考と置き換えてもいいでしょう。すなわち、ズレやブレは避けられないにも関わらず、それでも秩序だった幾何学図形を描こうとしているのが思考なのであって、こうしたエピクロスの考え方を敷衍(ふえん)するならば、人間ではなく宇宙こそが思考するのだと言えるのではないでしょうか。
その意味で、6月29日におひつじ座から数えて「心の動き」を意味する4番目のかに座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、計算通りになどならず、ズレや遅れが生じるからこそ、この宇宙は面白いのだとうそぶいてみるといいでしょう。
ああ、よかった。ペットボトルのお茶を忘れてきたから、おにぎりがホカホカだわ
これは郡司ペギオ幸夫の『やってくる』で紹介されていた、著者の実際のエピソードに登場する一言で、著者はその日、都内からほど遠い場所に出かけた際、昼食用にとおにぎり弁当とペットボトルのお茶を買って新幹線に飛び乗ったところ、せっかく買ったお茶をホームに置いてきてしまったことに気づいたのだそうです。
自責の念にかられつつも、今さらどうしようもないと気持ちを落ちつけ、座席に座っておにぎりを食べることに。ところが、おにぎりを頬張った瞬間、著者の頭に冒頭のような思考が浮かんだのです。もちろん、お茶を忘れてきたことと、おにぎりがホカホカであることには、何の因果関係もありません。著者自身もそれを結びつけることがおかしいと分かっている。にも関わらず、おかしいという理性の働きとは無関係に、そのような思考がやってきた訳です。
そんな風に、私たちには時おり望んだわけでもない意味をつかんでしまう瞬間があって、それに救われることだってあるはず。同様に今週のおひつじ座もまた、日頃の常識的な因果関係の枠組み(人間的な意味世界)をひょいと飛び越えて外部からやってくる意味の到来を経験していくになるかも知れません。
おひつじ座の今週のキーワード
くる、きっとくる