おひつじ座
今ここにある不安と向き合う
「自由の眩暈」としての不安
今週のおひつじ座は、キルケゴールにおける「不安」という概念のごとし。あるいは、不安を直視することでそこから回復していく道を探っていくような星回り。
しばしば「可能性」という言葉は良い意味でばかり用いられ、まるで「希望」と同義語のように思われていますが、哲学者のキルケゴールは『不安という概念』という著作において本当の意味での「可能性」とは「一切のものが等しく可能的である」という事態において感じられる困難さなのだと考えました。
それはつまり、何にもすがることなく、誰にも助けを求めることもできず、私が、私だけが何かを今ここでなす、その瞬間に立ち合っている(または、立ちすくんでいる)という事態であり、キルケゴールが「不安は自由の眩暈である」と述べるとき、そこには、何にもないところから何かをなすという自由がまるでパックリと口を開けた深淵のように姿を現し、それを凝視せざるを得ない人間の茫然とした姿を思い描いていた訳です。
そうした「自分にだって○○はなしうる」という自己尊厳感情にへばりついてくるものとしての不安という洞察は、例えば。さまざまなことへの自粛が求められるコロナ禍の状況下において、なぜ人々が漠然と不安を覚え、自分自身をも否定したくなるのかという理由を明らかにするのに、大いに役立つのではないでしょうか。
17日におひつじ座から数えて「自己の客観視」を意味する7番目のてんびん座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、「それでも、否が応でも行為し、生きざるを得ない」自分との不協和を、まずはできる限り正確に認識していきたいところです。
「あ、そうだったのか」
ぼくたちはすこしも自分のもとにはいないで、つねに自分の向こう側に存在する。不安や欲望や希望がぼくたちを未来の方へと押しやり、ぼくたちから、現に(今この瞬間に)存在していることについての感覚や考慮を奪い去る(モンテーニュ『エセー』)
モンテーニュが指摘するこうした傾向は、現代においてより強まっていますが、ここには奇妙な逆説があるように思います。つまり、未来のある到達点にいたりたいなら、本来足もとの大地を一歩一歩踏みしめていかなければそれはありえないのに、私たちは道を歩まず、道を知らずに、どこでもドアでいきなり目的地へたどり着くことを期待している。それは来たるべき未来どころか、むしろ反未来主義と言えます。
間近にありすぎるもの(「今ここ」)は、かえって朦朧としてリアリティを感じないものですが、しかし着実に来たるべき未来(目的地)へ至る道はそこにしかありません。その意味で、「ゆっくり行く者が、遠くへ行く」というイタリアのことわざは、今週のおひつじ座にとってよき指針となっていくでしょう。
今週のキーワード
今ここ=自由の最小公倍数を求めていく