おひつじ座
自分自身を救うために
久女の歩み
今週のおひつじ座は、「足袋つぐやノラともならず教師妻」(杉田久女)という句のごとし。あるいは、自分だけの精神的自立を打ち立てていかんとするような星回り。
大正から昭和にかけての女性俳句の草分けとして、新しい女性像を追求していった作者が最初に大きな物議を醸したのが掲句でした。
「ノラともならず」とは、当時森鴎外が紹介して知的女性の大きな関心事のひとつとなっていたイプセンの戯曲『人形の家』の主人公・ノラのことで、これはある事件を通して夫から自分が人形のように可愛がられていただけで、一人の人間として対等に見られていないことに気付いたノラが、最後には夫の制止を振り切って「では、さようなら」と言って家を出ていくという結末を踏まえた言葉。
つまり、ノラのように家を出ていくこともできない自分を、ただ破れた足袋をつくろいながら自嘲している訳です。ときに作者32歳。特に注目すべきは「ノラともなれず」ではなく、「ノラともならず」と書いたところで、あえて辛い境遇を運命として受容していかんとしたところに、強い意志表明が感じとれるはず。
もちろん、こんな句を雑誌に掲載すれば夫や親族も黙ってはいなかった訳で、作者がどれだけの覚悟をもって掲句を発表したのかはまさに推して知るべしと言えるでしょう。
6月21日におひつじ座から数えて「心理的基盤」を意味する4番目のかに座の初めで、日食と新月を迎えていく今のあなたもまた、一人の人間として真の意味で自立していくためにはどんな決意決断が必要なのか、見極めていこうとしているのではないでしょうか。
エックハルトの「小さな火花」
宗教というものはある程度発達してくると、仏教のような「自己からの救済」を目指すか、キリスト教のような「自己への救済」を目指すかのいずれかに分かれると言われています。ただし、神秘主義的キリスト教になってくると自己の滅却や解脱に近い概念が存在し、それが目指されつつも、同時に個別的な魂や個としての自我のようなものも残すべきという複雑な立場になってきます。
例えば、中世ドイツの神秘思想家エックハルトなどがそうで、彼は「人間を偉大という街に運ぶラクダは、苦悩という名前を持っている」と述べ、どんな人でも徹底的に自分自身を捨て去らねばならぬと考えた一方で、たとえそれができたとしても「魂の内にあり、創造されることのない、創造することのできない光」すなわち「小さな火花」のごときものは残るとも述べています。
もし今あなたが、思うような結果が残せていなかったり、十分と感じるほどに人から認められていなかったとしても、「誰も住まいするもののないこの最内奥においてはじめて、この光は満ち足りる」のだということをどうか思い出してください。
自分というものが消え入りそうなほどに「個=孤」の根底に入り込んでいった時ほど、「小さな火花」を見出す最良のタイミングなのですから。
今週のキーワード
人間を偉大という街に運ぶラクダ